大学に行っていないことが親にバレた後は仕送りが止まり、直人さんはコンビニや工事現場で働きながらその日暮らしを続けていた。朝から酒を飲んでしまうようになり、ゲーム類と書籍であふれた自宅はゴミとカビだらけに。
その頃には自分がアルコール依存症であることには気づいていたが、突発的に自死を選ぶ危険性のある病気でもあると知った。飲酒をやめたくても禁断症状での自死が怖くてやめられず、泣きながら吐きながらゴミ屋敷で飲み続けていたという。孤独な地獄絵図である。
アルコール依存症で専門病院に入院
「言動があまりにおかしくなり、看護師をしている姉が迎えに来てくれて、そのまま関西に戻されて専門病院に入院しました。38歳のときです。2週間ほどは禁断症状で苦しみましたが、あれから一度も酒は口にしていません。祝いの席などで飲んだことがきっかけで再発する危険があるので注意しています」
以前は明るくて「チャランポラン」だったという直人さん。しかし、それはアルコールによって作り上げた人格である。お酒を飲まずに生活していくためには、新しい自分を再構築していかなければならない。直人さんは半年ほどで退院した後、努力を続けて真面目な性格になり、和美さんとの出会いの場となったスポーツクラブに事務系の社員として就職をした。
正社員だが月収は18万円。都会で一人暮らしをするには厳しい金額だ。アルコール依存症で入院していたときに発達障害の診断も受けていた直人さんは、障害者雇用枠で専門職の公務員試験に合格。大阪府内の新人研修施設に入ることになった。辞めることが決まっていたスポーツクラブで同僚だった和美さんとの交際が始まったのはその頃だ。
研修施設には独身寮も併設されている。しかし、直人さんは見知らぬ人との共同生活も一人暮らしにも不安があった。何らかの誘惑に負けてまた酒に手を出してしまうかもしれない。会話上手の和美さんに心惹かれていたこともあり、LINEを使って猛アタック。寮は早々に出ることにして和美さんと結婚前提で同棲を始めた。
直人さんが「明るくて面白い」と評する和美さんも悩みのない20代30代を送っていたわけではない。大学を卒業したのは就職氷河期の2000年。美容関連の会社になんとか入り、エステティシャンをしながら美容機器の販売もした。かなりブラックな職場だったという。32歳のときに同僚と2人で独立して、エステスクールを開業。40歳までは続けていたが経営は順調ではなかった。
ログインはこちら