和平と国交正常化が実現する見通しは、ハマスにとっては致命的な脅威だった。このイスラム原理主義組織は1987年の設立当初から、イスラエルが存在する権利を一度も認めたことがなく、徹底した武力闘争を旨としてきた。1990年代には、ハマスはオスロ合意と和平に向けたその後の努力を頓挫(とんざ)させることに全精力を傾けた。
ネタニヤフが率いるイスラエル政府は10年以上にわたって、パレスティナでもより穏健な諸勢力との真剣な和平の試みをいっさい放棄し、領有権を巡って係争中の地域に関してしだいにタカ派色の濃い政策を採用し、右派のメシア(救世主)信仰のユダヤ人至上主義思想を受け容れさえしてきた。
ハマスはその間、イスラエルに対処するにあたって驚くほどの抑制を見せ、両者は不安定ではあるもののそれなりに機能する暴力的共存政策を採用しているように見えた。だが10月7日、ネタニヤフ政権が地域の平和のために大きく前進しようとしている矢先に、ハマスは全力を挙げて襲いかかった。
ハマスは、これ以上ないほど陰惨な手口で何百人ものイスラエルの一般市民を虐殺した。差し当たっての狙いは、イスラエルとサウジアラビアの平和条約締結を挫折させることだった。そして長期的な狙いは、イスラエルとイスラム世界の何百万もの人の心に憎しみの種を蒔(ま)き、今後何世代にもわたってイスラエルとの和平を妨げることだった。
ハマスが今回の作戦につけた暗号名の意味
ハマスは、このような攻撃をすれば、イスラエルの人々が悲嘆と怒りで我を忘れることを承知しており、イスラエルが必ず大規模な報復を行なって、パレスティナの人々に甚大な苦痛をもたらすことを見越していた。ハマスが今回の作戦につけた「アル・アクサ・トゥファン」という暗号名が、それをはっきり物語っている。「トゥファン」とは、洪水のことだ〔訳注:アル・アクサはエルサレムにあるモスクで、イスラム教の聖地〕。人類をほぼ一掃するほどの代償を伴ってさえも、罪を取り除いてこの世を浄化することを意図した旧約聖書の洪水に似て、ハマスによる攻撃は途方もない規模の惨害を引き起こすことを狙っていた。
ハマスは、この戦争でパレスティナの一般市民が被る苦しみが気にならないのだろうか? ハマスの活動家の気持ちや態度は、きっと人それぞれだろうが、この組織の世界観は個人の苦悩を考慮に入れない。ハマスの政治的な狙いは、宗教的幻想にすっかり染まっているのだ。
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