今回の攻撃を起こしたハマスは、国際的に認められているパレスチナ自治政府に対して、ガザを武力で制圧して「実効支配」しているテロ集団、と描かれています。しかし、これも背景をよりよく理解する必要があります。
占領後パレスチナ人の抵抗、そしてイスラエルの弾圧などが続きましたが、1993年に突然、独立運動の主体であるパレスチナ解放機構とイスラエルとの間に「オスロ合意」が発表されました。
その合意は、解放機構は武力抵抗を放棄して、西岸とガザにおいてのみパレスチナ国家建立に向けた交渉を開始するというものです。そして、期待されるパレスチナ国家の下準備として、西岸とガザで「パレスチナ自治政府」が設立されて、限定された自治権を行使することが決まりました。
パレスチナ人にとって「オスロ合意」は青天の霹靂
一見して解決に向けた大きなステップに見えますが、詳細を見ると、パレスチナ側に対して不利なものといえます。そもそも一般のパレスチナ人にとってオスロ合意は青天の霹靂であり、パレスチナ全土独立という目標が民主的に決定したわけではありません。
そして、自治政府がイスラエルと協力して、パレスチナ人の活動家などを逮捕して拷問するようになると、多くのパレスチナ人に「植民地支配者が押しつけた傀儡政権」とみなされるようになります。実際、オスロ合意後イスラエルによる違法な入植活動はますます促進され、植民地支配はむしろ強まったと指摘されています。
2006年、パレスチナ自治政府の選挙が行われます。イスラエルや欧米諸国は自治政府の主流が勝つものと高をくくりますが、ふたを開けてみると、オスロ合意の譲歩を否定するハマスが圧勝します。世界中で民主主義の大切さを説き回る欧米ですが、民主的に選ばれたハマス政権をボイコットして、自治政府への資金提供を打ち切ります。
そして欧米は自治政府をけしかけて、武力でハマスを弾圧させしようとするのですが、短い内戦にもハマスは勝ち、自治政府は本拠地だったガザから西岸に逃げ込みます。西岸とガザの分断統治が生じたのは、このような経緯です。
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