水戸線の「小駅」関東大震災後の知られざる大貢献 上野駅再建にも使われた石材の産地、稲田駅
明治期に人気になった稲田石は時代が大正に移っても絶対的な人気を誇っていた。大正期に竣工した建物で、稲田石を使った代表的なものとして真っ先に名前が挙がるのは東京駅だろう。
辰野金吾が設計した東京駅丸の内駅舎は赤レンガが美しく映えるため、稲田石の存在は忘れられがちだ。しかし、東京駅の基礎工事には約2万切、重量にして約1500トンの稲田石が使用されている。稲田石なくして、東京駅の赤レンガ駅舎は成り立たない。
東京のシンボルともいえる東京駅をはじめ、主要な建築物で稲田石が多用されたこともあり、その名声はさらに高まった。そして名声が高まることで、需要も右肩上がりで増えるという好循環を生むことにつながった。
関東大震災の前年にあたる1922年には、稲田駅から出荷される石材量は5万4192トンにも及んだ。出荷された稲田石の大部分は東京へと運ばれているから、明治末から大正期にかけて東京が繁栄を築くことができた背景には、稲田石の存在があったと言っても過言ではないだろう。
震災復興でさらに伸びた需要
関東大震災直後、稲田石の出荷量は一時的に減少した。しかし、1926年には早くも震災前を上回る7万7874トンにまで回復。これは復興事業で多くの建物に稲田石が使われたからだ。
それまで稲田石は銀行に使われることが多かった。それは、白御影石とも別称されるように見た目が白くて美しく、それを建物に使うと高級感を醸し出せることが理由だった。
関東大震災後、建物には耐震性・耐火性を重視する風潮が強まる。高硬度の稲田石は耐久性にも優れていたため、その見た目の美しさとも相まって人気を高めた。加えて、経年劣化しにくいという特徴もあった。そうした特性から、それまで銀行建築を中心に使用されてきた稲田石は、官庁建築・駅舎建築でも多用されるようになっていく。ちなみに、関東大震災で焼失した上野駅は再建時に大量の稲田石を使用している。
稲田石は復興事業で需要を伸ばし、それに伴って稲田駅も輸送力強化のために設備が充実していく。1931年には3トンまで引き上げることができるガントリークレーンが、1936年には簡易門型クレーンが設置された。
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