水戸線の「小駅」関東大震災後の知られざる大貢献 上野駅再建にも使われた石材の産地、稲田駅
2023年は、関東大震災の発生から100年という節目にあたる。関東大震災は帝都・東京を壊滅させたが、東京はその後の復興事業で繁栄を極めていく。復興を果たした理由をひとつに絞ることはできないが、地味ながら再建に大きな役割を果たしたのが、茨城県西山内村(現・笠間市)の稲田だった。
稲田は江戸時代から採石業・石材業が盛んな地として知られ、産出する花崗岩は人を魅了するような光沢と耐久性を兼ね備えていた。そうした理由から建材として人気になり、その花崗岩は産地の名称から稲田石と呼ばれるようになる。
「稲田石」水戸線開業で全国区に
当時の稲田石は地元民でも知る人ぞ知る建材だった。その評判が全国区になるのは、1889年に水戸鉄道(現・JR水戸線)が開業したことがきっかけだった。同鉄道の開業を機に、地元の有力者が笠間石材会社を設立。このとき稲田石は、笠間石の名称で採掘・販売された。
当時、稲田駅は開設されていない。そのため、切り出された稲田石は馬車や大八車で笠間駅へと運ばれ、そこから貨物列車で東京に輸送された。その流通経路から笠間石と呼ばれたが、しだいに産地由来の稲田石という呼称が定着していく。水戸鉄道は小山駅で日本鉄道(現・JR東北本線)に接続しているので、その開業は稲田石の東京への輸送を容易にした。
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