叙勲はリーズナブルな国家の統治道具だ--『勲章』を書いた栗原俊雄氏(毎日新聞学芸部記者)に聞く
──勲章制度は2003年に改定がありました。
新たな「勲章の授与基準」が決まった。等級がなくなり、大・中・小が中心区分になった。その数年前から勲章に対して批判が巻き起こっている。もともと潜在的に不満があって、それが燎原(りょうげん)の火のごとく広がった。特に人に等級をつけるのはおかしいとなって、政治家にも問題視され、懇談会が作られて、等級を弱める改革をしている。
──戦前までに民間人で最高の勲章を受けたのは岩崎弥太郎ですね。
それも勲四等旭日小綬章。大経済人にしてこの程度の扱いだった。
今も叙勲の本質はそれほど変わってない。「国家または公共に対して功労のある者」に授与するから、宿命的に「官高民低」となる。政治家や公務員は普段から公共のために仕事をしているはずで、スタートラインからして圧倒的に有利。それでも人数は官6対民4ぐらいになっている。明確に民の比率を上げようと、目標を持って進めてきた結果だ。ただし、上位の受章者は政治家や高級官僚ばかりで、市井の人はいない。
──どう決まるのですか。
推薦制度も03年から加わった。しかし、目的が変わってないから、それもドラスチックではない。「民より官」ばかりでなく、ポストが低い人より高い人、企業でいえば小より大、私企業より公共企業が優遇される方向はまったく変わらない。個人ではなく、業界のためというのも大義名分になる。
──この本に電力王といわれた松永安左エ門の話が出ています。
日本商工会議所会頭だった永野重雄が「後進者が迷惑する」として辞退させなかった。これはいわば恫喝。正義感の強い人だったから、迷惑をかけると言われるとつらくて、翻意した。結局、復活の生存者叙勲での第1号になっている。