こうしたプロセスで、なぜ経済が長期に毀損するか。平常時になれば無駄となる営業人員を抱えすぎた。過剰な設備投資をした。浮かれているときでしか消費しないような製品ばかりを作った。
つまり、人員の過剰、過剰なボーナス水準、過剰設備、平常時に戻ればまったく役に立たないビジネスモデル、それに適応した企業、つまり、リソース(資源)のほとんどが、バブル期に利益を最大化するものに投入されてしまい、バブルが終わった瞬間、平常時にはすべて役に立たない過剰なものになってしまったのである。つまり、すべての人材、資本、アイデア、ビジネスモデルを無駄なものに投入したため、資源配分が最適から程遠い状態に陥ってしまったのである。
そして、そこから平常時に移行するには、銀行も企業も資本が毀損して、リストラ、移行費用もままならず、新しい人材の採用、教育、21世紀向けの設備投資、21世紀用のビジネスモデル、何にもリソースを投入できなかった。
結局、日本経済は回復にバブル崩壊、後始末だけでなく、きれいになってからも、何もないところからのスタートで新しいモデルを確立するのに10年かかってしまった、いや今でもできていないままなのである。よって1990年代、2000年代はコストカット、値下げによるコストパフォーマンスの上昇だけに頼った目先の回復戦略を取り続けなければならなかったのである。
「非効率の温存」が日本以上に続く可能性
ポイントは何か。適切な資源配分がなされてきたか、今なされているか、これからされるか。これだけである。
配分を市場に頼るのであれば、市場が機能するかどうか。銀行が行うのであれば、銀行が長期持続的に企業やビジネスモデル、プロジェクトを選別しているか。独裁者による配分に頼るのであれば、独裁者が的確な判断をするかどうか。すなわち、資源配分メカニズムがどんなものであれ、その結果が効率的であれば、良いのであり、配分の効率性が問われるのである。
中国不動産バブル崩壊が、2008年のリーマンショックや日本の1990年代と違って、ダメージが小さいと思われるのは、銀行の資本が毀損しても、それにより、他の部門への融資配分が変わらない(変えない)と思われているから、バブル崩壊の銀行システムを通じた経済全体への波及が小さいと思われているからである。
また、株式市場や国際資本市場、為替なども、グローバルな市場から隔離されているから、市場のパニックによるオーバーシュート(下げすぎること)が起きないとされていることがあげられる。
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