33歳のとき、一命をとりとめた教員が伝えたいこと 9月1日は「若者の自殺者数」が1年で最も多い日

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何度も言いますが、走っている間、とてもみじめな気持ちがしました。マッチョなビジネスマンがジムで汗を流す爽やかさはありませんでした。

しかし今、振り返ると、母が夜中のドッグランに連れだってくれたことは、私を命の道に引き戻すための鍵だったと思います。私は精神よりも肉体を先に回復させたのです。

「死んだ人、生きた人、すべてを受け容れる」

そしてもうひとつは心がまえの問題です。

私は就職氷河期世代だったせいもあり、周りには自殺、事故、病気などで、悲惨な死に方をした人がたくさんいました。

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私はカーテンレールが折れた幸運な人間でした。そのため私はその後、そういう「不幸」な人たちに対して、生き残った人間として、ある種の引け目を感じ、自分の生活が再び軌道に乗ると、そうした不幸を極力見て見ぬふりをして、避けようとしました。

正直なことを言えば、そういう人たちと関わると、自分が再び不幸に引きずり込まれるような感じがして、怖かったのです。私は弱い人間でした。

しかし自殺未遂から10年後、自分に乳がんが見つかり、私は乳房を一つ、全摘することになりました。

そのとき、私は不幸に再び直面して、「不幸」は決して自分の「外側」にあるものではなく、「内側」のものとして受け容れるようになったのです。

カーテンレールが折れてから、私は自分の生活を立て直すことに必死でした。そして自分は「正しい側」にいること、一方「不幸な側」にいる人は、何らかの瑕疵、つまり本人の側に問題があると思い込もうとしていました。

しかし実際にはそんなことはありませんでした。何の罪もない人が、不幸のどん底に追いやられることは、決して少なくないのです。

私はそこから、自分の不幸も、他人の不幸も、ぜんぶ受け容れて、赦そうと思うようになりました。

今まで自分の安っぽい道徳心で、早く死んだ人などを勝手に「かわいそう」と思い込んでいました。でも「かわいそう」と思ったところで、何になるでしょうか。

どんな不幸に見える人生にも、命の輝きがあり、人それぞれに美しいのです。「死んだ人も、生きた人も、受け容れよう」と幸福至上主義をすてたとき、肩の力がふっと抜けるのを感じました。

今、死にたいと思っているみなさんは、そんな心がまえでは、引きずり込まれて死んでしまう気がしますか?

実は人間はそんなに弱くはありません。すべてを赦したとき、生きる力がふつふつとわいてくると思います。植物の種が、環境さえ整えれば、自然と育っていくのと同じです。

私は人生は楽しいとか、ポジティブに考えろとか、そういう気休めのことは言いません。

ただ自分のものであれ、他人のものであれ、今の不幸をまずは受け容れてみてください。

幸せじゃなくても、悲しくても、汚くても、かっこわるくても、それでいいんです。安心してください、それが永遠に続くということはありません。

今、死にたいみなさんは、息がかろうじてできるだけで十分です。肩の力を抜いて、静かに呼吸してください。

一回できたら、もう一回、そしてもう一回。呼吸するのに、幸福か不幸かなんて関係ありません。必要なら、薬も飲んでいいでしょう。そうしているうちに、息は自然とつながり、あなたの道ができていきます。

加藤 有希子 埼玉大学准教授

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かとう ゆきこ / Yukiko Kato

1976年横浜市生まれ。早稲田大学第一文学部美術史専修卒業。慶應義塾大学大学院哲学専攻美学美術史分野修士課程修了、同博士課程単位取得万期退学。デューク大学美術史視覚文化学科博士課程修了(Ph.D.)。著書に『新印象派のプラグマティズム』(三元社)、『クラウドジャーニー』(水声社)、『オーバーラップ』(水声社)など。

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