33歳のとき、一命をとりとめた教員が伝えたいこと 9月1日は「若者の自殺者数」が1年で最も多い日
私は現在、大学教員ですが、その頃は、アメリカの大学院留学に挫折感を覚えて、日本に帰国していました。
ストレスからでしょうか、2009年から免疫の病気である膠原病を患い、博士論文も書けなくなり、恋人もおらず、就職先もなく、収入もなく、ステロイド剤で顔がパンパンに腫れて姿も醜くなり、当時の自分としては考えうるかぎり一切の希望が断たれたなかでの自殺未遂でした。
あのときは死ぬことしか考えられませんでした。私が10年以上すべてを賭けてきた学問の道に挫折したと思ったからです。
あのころは、街を歩けば飛び降りるビルなどを探していましたが、私の実家は今思えば、幸いにして二階建ての一軒家で、高いビルではありませんでした。
一方、電車に飛び込めば、家族に迷惑がかかりますし、体が粉みじんになることは怖かったのです。そうして私は消極的に、首吊りを選びました。そしてカーテンレールが折れたのです。
何度も自殺未遂する人もいますが、私にとってはカーテンレールが折れたことは、最大の教育的指導でした。私はそこで「自分は死ぬ運命にはない」ということが初めてわかり、そこから本当に少しずつですが、博士論文を再び書き始めました。そしてその年の12月にはアメリカで博士号を取り、次の年に幸いにして大学教員として就職できたのです。
死にたいと思っていたとき、私はもちろんそんな未来が来ることなど想像だにしていませんでした。
「視野狭窄」から抜け出すには
今、思えば、人が死にたいと思うのは、端的に言えば「視野狭窄」、つまり視野がものすごく狭くなって、それしか考えられない状態です。自分も捨てたもんじゃない、ということがまったく思いもつかない状態なのです。こうした「視野狭窄」から抜け出すにはどうすればいいのでしょうか? 今日はそのことをお話ししたいと思います。
私が経験から学んだ抜け道は、ひとつは肉体的なこと、もうひとつは精神的なこと(心がまえ)です。
ひとつは体を動かしましょう、ということです。
自殺未遂をしたあと、母は私が引きこもっているのを見かねて、私を夜のドッグランに連れ出しました。住宅地の人が犬を散歩させる場所です。
私は夜、真っ暗になった誰もいないドッグランで、母に見守られて毎日走りました。33歳の無職の独身女性が、誰もいない真夜中のドッグランで走っているのですから、そんなに楽しいものではありません。運動すると息苦しく、不安になるときもあり、将来の展望も持てず、本当にみじめな気持ちがしました。
しかし命というのは、肉体と精神が磨かれて、初めて輝くものです。ほとんど見えないような緩やかな速度で、私の魂は徐々に回復していきました。
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