関東大震災100周年とアナキスト大杉栄の人生 流言飛語が生まれた時代、アナキストの思想は

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しかし、結局白人にとって日本人はたんなるアジア人にすぎないという世論に押され、大震災の翌年成立する排日移民法では、日本人もアジア人として人種差別の対象となっていたのである。これは多くの日本人のプライドを傷つけた。

アジアの中で唯一白人の植民地とならなかったばかりか、西欧社会の一角を占めるようになったという自負は、この移民排斥法によってあっという間に崩壊してしまったのである。大震災当時フランスの大使であった高名な詩人でもあるポール・クローデル(1868~1955年)は、日本人の失望についてこう述べている。

「アジアの民族とくに中国人との連帯の感情が強まるでしょう。日本人は、今後は否応なく、そうしたアジアの陣営に組み込まれるでしょう。これまで日本人は、自分たちの立場は隣のアジア大陸のとは違うものであり、自分たちは黄色い肌のヨーロッパ人であると思わせるよう奮闘してきました」(『孤独な帝国 日本の1920年代』奈良道子訳、草思社文庫、2018年、325ページ)

白人への怒りを中国や朝鮮に向けた日本

このクローデルの判断は間違っていないが、ただ中国と関係については間違っている。なるほど日本人は、白人と同格だと思っていたことがかなわなかったことで激怒したが、その怒りはアメリカに向かったのではなく、むしろ同じ排斥の待遇を受ける中国や朝鮮に向けられたのである。

これはまったくの方向違いであった。だから日本は、大陸に目を向け始まるとしても、むしろ軽蔑と差別のまなざしで向け始めるだけであり、アジア人を同格として取り扱うことはなかったのである。

戦後の不満は、戦後を都合良く操っていた西欧国家の横暴に向けられるのではなく、日本に抵抗するアジア人に向けられたともいえる。八つ当たりという言葉があるが、まさにそれである。

これはまるでこの頃文壇で活躍していた芥川龍之介(1892~1927年)の「蜘蛛の糸」(1918年)の主人公カンダタの話に似てなくもない。芥川のことだ、そうした時代背景の不気味さをこの短編で示したかったのかもしれない。

大杉栄は関東大震災の年の初め、まだフランスにいた。中国経由で偽パスポートを使ってドイツのアナキストの大会に参加するつもりで、密航していたのだ。

大杉栄は異色の日本人である。陸軍幼年学校を中退し、東京外国語学科校(現在の東京外国語大学)へ進学し、やがて幸徳秋水(1871~1911年)や堺利彦(1871~1933年)などの社会主義に影響され、国家に縛られない自由なアナキストの闘志となる。

大正時代初期の日本は、ロシア革命以前で、まだマルクス主義の影響力はそれほどあったわけではなかった。彼の『日本脱出記』(1923年)は、今でも日本の若者にぜひ読んで欲しい書物だ。

思ったら吉日、どこにでもあまり考えないで出かけてゆく大杉、そして周りの日本人の動きにいっさいとらわれない非常識な大杉は、まさに西欧人の前で媚びへつらわない、堂々たる日本人であった。それは大杉には、当時の促成西洋型知識人のように西洋の知識に左右されない、確たる自己流の考えがそなわっていたからである。

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