12月28日の午後、看取り士の小川が自宅を尋ねると、部屋のカーテンを閉めたまま、千恵は寝室で一人横になっていた。4回目の訪問だった。小川が玄関口で声を何度かけても返事がなかった。部屋に入ると、「大丈夫、大丈夫」としか答えない。
急変を察知した看護師でもある小川は、寝室で横たわる千恵の上半身を起こして、栄養飲料を急いで飲ませた。
千恵は「あー、おいしい」と漏らすと、おぼろげだった意識が少しはっきりしてきたようだった。小川は美春に電話をかけて状況を伝えた。翌29日昼過ぎに今度は美春から小川へ、千恵の状態が急変したと連絡が入った。在宅医に往診してもらうと脱水症状で点滴を処方され、採血の結果も思わしくなく厳しい状況だという。姉妹は28日の夜から千恵宅で寝起きしていた。
「僕に、何か言い残したことはないの?」
太一郎が千恵にそう尋ねたのは30日昼。そのときの動画が彼のスマホに残っている。千恵は息も絶え絶えに、最愛の孫へ言葉をしぼり出すように語っていた。
「生きていると……、つらいことや、嫌なこともいろいろあるけど……、でもつらいことばっかりじゃない、いいこともたくさんあるから……」
赤の他人が見ても心を揺さぶられるひたむきさだった。
「……本当にしんどかったら休めばいい。困ったときにはお父ちゃんとお母ちゃんにも相談して……、そのうえで最後は自分の意見を通させてもらえ」
最後の一言が、さすが孫の一番の味方らしかった。
日記に一つずつ「最後」を書き込んでいく強さ
千恵の他界後、小川が美春から電話を受けたのは1月4日の午前3時半頃。すでに家族だけで小川から教わった看取りの作法をしながら、亡くなった千恵のそばで、昔話に花を咲かせた後だった。小川が千恵宅に到着したのは午前4時20分頃。
美春の話だと、年末の27日に千恵がふいに「こんなモシャモシャな髪では、正月を迎えられんわ」と、自ら行きつけの美容室に電話して自宅に来てもらい、髪を切ったという。その分、翌日の急変が信じられなかったと美春は、小川に話した。
布団に横たわる千恵の表情が、小川には満足げに微笑んでいるように見えた。姉妹を含む家族も「お母さん、笑っているみたい」と話し、千恵の背中などの温かさに触れることで、そのエネルギーをしっかりと受け取っていた。
それから呼ばれた在宅医が確認した死亡時刻は午前5時12分。小川は訪問看護師の協力を得て、足湯を以前楽しんでもらった薬草入りのお湯で千恵の体を清拭後、本人の希望通りに大好きだった登山服に着替えさせた。
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