京成千原線、「謎の土地」に秘められた延伸計画 単線だが複線規格の駅、終点の先に広がる用地
ちはら台駅から線路の終端に向けて歩くと、3本の線路は途中で途切れるものの、その先も架線柱は立っており、コンクリートの構造物も確認できる。これらが途切れても、その先しばらくは細長い鉄道用地が右にカーブしながら続いていき、村田川に差し掛かるところで用地は途切れる。
その先、辰巳台ニュータウン方向へ歩いてみると、複線鉄道分の幅と思われる空き地が数十メートル存在したり、ソーラーファームになっている土地があったりする。だが、これは「たまたまそれっぽい形の空き地」というだけのようだ。
京成によると、村田川から辰巳台ニュータウン北端の間や、辰巳台ニュータウン南端から海士有木駅までの間で「確保している用地や準備施設等はない」とのことであった。つまり千原線の用地として確保されているのは、ちはら台駅から村田川までの部分と、後述する辰巳台ニュータウン地区内の用地だけということになる。
用地をめぐるかつての複雑な事情
実はかつての千葉急行は、鉄道計画ルートを含む広大な開発用地を京成とともに保有していた。ところが、ちはら台までの鉄道建設の資金難を背景に、ちはら台から先の区間で京成とともに確保していた合計約6万平方メートルもの土地の大部分を、同社の出資者である千葉県や市原市に知らせず売却してしまったというのだ。雑誌『財界展望』1989年1月号の記事「千葉急行電鉄が電車を走らせない!?」(舘澤貢次氏著)に、当時の窮状が赤裸々に描かれている。
同記事によると、市原市は辰巳台ニュータウンに線路を伸ばしてもらえる約束で千葉急行に出資したにもかかわらずその予定地を売却され、当時の市民たちは怒り心頭。千葉急行と市原市に対する抗議活動も行われたそうだ。記事中で当時の千葉急行専務は「鉄道を建設する用地を売っているわけではない」「売却しているのは開発用地であって鉄道用地ではない」と主張しているものの、ちはら台から先の詳細なルートは未定の状態で、鉄道用地と開発用地の区別については「それは、まあ、なんとなくわかるでしょう」と歯切れの悪い回答をしている。
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