「私は人をカチンとさせる余計な一言を言ってしまうらしいんです。でも、具体的に何が地雷だったのかわからない」。ただそこを自覚できなければ、コミュニケーションの改善には限界があるのではないか。私がそう指摘すると、ケンイチさんは「おっしゃるとおりです」とうなずいたうえで、次のように主張する。
「私は真面目に仕事をしていいものをつくりたいだけ。でも、日本の会社で(定型発達の人に)意見をすると、人格を否定したかのように受け止められる。日本の組織で重用されるのは、よい製品をつくるために議論しようとする人ではなく、上司の顔色をうかがうことができる周りともめない人」
もめる相手はもっぱら日本人
私事になるが、私も会社員時代は上司から「和を乱す人間」と苦言を呈されていたクチだった。だから、ケンイチさんの言い分には共感できる部分もある。
たしかに発達障害のある人にとって、同調圧力が比較的強い日本より欧米社会のほうが生きやすいという話はよく耳にする。ケンイチさん自身、もめる相手はもっぱら日本人。一度アメリカ人上司との間で行き違いが生じたときは、激高した上司からNGワードを含む罵声を浴びせられたが、誤解が解けた後は屈託のない関係に戻ることができたという。
発達障害の特性はさまざまだ。中にはケアレスミスや遅刻、忘れ物が多い、集中力が続かないといった理由で仕事が続かない人もいる。一方でケンイチさんの場合は、ずば抜けた能力の高さが仇になっているようにも見えた。
40代半ばをすぎた今も仕事を始めると、集中して気がつくと半日近く立っていることはざら。英語も独学でマスターした。自身が手がけた自動車部品は今まで一度もリコール対象になったことがないという。
転職を重ね、起業する中で貯金は底を尽いたものの、会社は黒字経営である。起業初年こそ年収は約120万円だったが、現在は同300万円までアップ。それでも会社員のほうが安定していると思い、就職活動を再開したところ、最近外資系メーカーへの転職が決まった。
「会社を黒字化させ、40代で外資に転職する。それができる私はそこそこ優秀だと思うんです」。強気に語る一方で、将来の不安はぬぐえない。再就職が決まったとはいえ、クビになればすぐに困窮状態に陥ることは目に見えている。「(転職先で)また日本人ともめて退職することになるのではないか。それが怖いです」
ケンイチさんが発達障害を疑い心療内科を受診したのは5年ほど前。専門的な検査などの結果、アスペルガー症候群の特性があることがわかったが、医師からは診断はしないと告げられた。理由は社会適合できているから。医師の説明は「相当努力されたのですね。でも社会適合できている以上、それは障害ではなく個性です」というものだった。
「なんじゃそれ、と思いました」とケンイチさん。発達障害のある人はできることと、できないことの凹凸の差が大きいといわれる。ただその中間にはケンイチさんのように「本当はできないけれど、膨大なストレスを抱えながらなんとかできていること」がある。医師の見解は正しい。しかし、「個性」の一言で片づけるには、これまでケンイチさんが重ねてきた努力と、払ってきた代価はあまりに大きい。
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