診療再開へ奮闘する東松島市の歯科診療所、移動健診車の貸与を受け巡回診療へ
東日本大震災では、歯科診療所も大きな被害を受けている。建物が全壊したり、浸水で設備が使い物にならなくなった歯科診療所も続出。歯科医がいなくなった地域も少なくない。
そうした困難な状況下で、スタッフととともに再起を決意した歯科医師がいる。「東松島市鳴瀬歯科診療所」の五十嵐公英院長(写真、64)だ。
宮城県東松島市の陸前小野駅(宮城県東松島市)からほど近い五十嵐院長の歯科診療所は津波で床上浸水の被害を受け、4つあった歯科ユニット(診療台)や口外吸引装置、オートクレーブ(滅菌装置)などの医療機器が軒並み使用不能に。約6000枚あったカルテ(診療録)のうち約半数、約5000枚のレントゲン写真すべてが水を被った。だが、「建物だけでも残っていたのは天の恵み。必ず再開できる」と、五十嵐院長は気を取り直した。
五十嵐院長が歯科診療所再建に全力を尽くそうとしているのは、「この地域から歯科診療所をなくすわけにはいかない」という使命感に裏打ちされてのものだ。隣の野蒜駅付近にあった歯科診療所は津波で流され、院長も死亡。陸前小野駅近辺でもほかに診療再開の動きはないという。「私のところが再開しないと、この地域(鳴瀬・野蒜地区)の患者さんは歯科診療を受けることができなくなる」(五十嵐院長)。
■床下のヘドロを除去するために、歯科診療所の床板をすべてはがした。写真の人物は五十嵐公英院長
■海水を被ったカルテ(診療録)
■レントゲン写真も水につかった(ただし読映には問題ない)