「秀吉と遂に和睦」も家康が身の危険を感じたワケ 上洛を迫る秀吉に、死を覚悟して向かった家康

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今回、秀吉はなぜ急に「自分の知らない家臣を遣わしたな」と徳川に怒ったのか。それは、たんなるわがままではなく、無理難題に家康がどう対応するかを見るためではなかったか。

このくらいの無理難題で家康が手切れを望み、それを実行するなら、やはり征伐してしまおうと秀吉は考えていた可能性もあるだろう。しかし、家康がぐっと我慢したことで、そうした事態は避けることができた。

さて秀吉は、家康に臣従の証しとしての上洛を求めてきた(9月24日)。それに対して家康は、秀吉に上洛中の自身の身の安全を保証するよう要求した。

もし家康が上洛しなければ、秀吉に従う気がないとみなされ、断交することになる。一方で上洛したとしても、秀吉が態度を急に変えて切腹を命じられることになるかもしれない、との懸念も残っていた。

秀吉は、上洛要請になかなか応じようとしない家康に、大政所(秀吉の生母)を三河に下向させることを伝える。家康に何かあった場合は、大政所は殺されることになるため、人質であるといえよう。

10月18日、大政所は三河岡崎城に入った。それを確認した家康はついに岡崎を立ち、京に向かうのである。

『三河物語』によると、上洛前に、酒井忠次が「上洛はおやめください。道理に合いません。考え直してください」と家康に迫ったようだ。

自分1人が死ぬことで、万民を助けることになる

忠次だけではなく、ほかの家臣も「秀吉と断交になるのを避けるために、上洛するのは納得いきません。考え直してください」と口々に家康に言上したという。

それに対し、家康は次のように述べた。

「皆、なぜそのようなことを言うか。私1人、腹を切って万民を助けるのだ。私が上洛しなければ断交となる。秀吉方が100万の軍勢で押し寄せてきても、打ち破ってみせるが、戦というのはそういうものではない。私1人の決断で、民百姓や諸侍たちを山野に野垂れ死にさせるならば、その亡霊の祟りのほうが恐ろしい。私1人が腹を切って多くの人の命を助ける。お前たちも、いろいろ言わず、(家康が上洛しなかったことを家臣も)謝罪し、多くの人命を助けよ」と語ったのだ。

家康のこの言葉に、上洛に反対していた家臣たちも「ごもっともにございます。そのお考えなら、上洛してください」と従う。家臣の返答に家康は「さすが、重臣の返事じゃ」と満足気であった。

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