「脱亜入欧」が崩れ日本アイデンティティが揺らぐ 中国人団体観光客再来で揺れる日本の自画像

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欧米観光客を「優良」とみなすのは一時代前の幻影だ。欧米のバックパッカーの若者が、夜中に路上で酒を飲んで大騒ぎするのはよく知られている。

欧米客が増えている背景の一つは、円安の進行による「安い日本」がある。一方、北京、上海など大都市の「金持ち観光客」は、お行儀がよい高額消費の「優良顧客」だ。帰属から人を判断する偏見が大新聞の記事を飾る。

中国が豊かになり、中国人の旅行も団体から個人へ移行し、買い物よりも体験型に変化している。そんな変化に気付きながらも中国人観光客を「爆買い」イメージで語るのは、メディアの固定観念からだろう。

中国、朝鮮を鏡に自画像描く

日清戦争の10年前となる1885年、「時事新報」に掲載された「脱亜論」は、「不幸なるは近隣に国あり」として、「遅れた朝鮮清国のごとき国に隣接するは日本の不幸」と書いた。日本(人)は、歴史的思想的に共通の基盤があり、風貌も近似した中国と朝鮮半島を鏡に「自画像」を描いてきた。

近代化とは遅れたアジアを脱し、欧米列強に伍する「世界の一流国」実現を意味した。日清、日露戦争に勝利して「大国化」の目標は実現したが、その後中国大陸とアジア一帯を侵略・植民地化し、アメリカと戦って自滅した。

1945年の敗戦時、多くの日本人は「欧米に負けたのであり中国に敗北したわけではない」と思い込んだはずだ。敗戦直後から始まる「冷戦」は、旧ソ連、中国、北朝鮮など社会主義諸国を敵視することによって、アジア侵略・植民地化の加害責任を直視して反省する契機を失った。

日本政府が、アジア侵略・植民地支配への反省と謝罪を公式に表明した「村山談話」発表(1995年)まで半世紀も要したのだった。

日本(人)は世界第2位の経済大国の地位を2010年に中国に奪われたが、アジア観はほぼそのまま維持してきた。それは中国の団体旅行解禁に関するメディア報道でもわかる。

だが「大国」としての経済・社会指標は下落する一方だ。「失われた30年」の中、1人当たり国内総生産(GDP)は、アジアのシンガポール、香港に抜かれ世界第24位。間もなく韓国、台湾にも抜かれるだろう。

実質賃金はこの30年まったく上昇せず、労働生産性は主要先進国(G7)で最下位。所得格差は拡大・固定化し、階級化が進む。世界経済フォーラムによると、2023年の日本のジェンダーギャップ(性差)指数は、146カ国中125位と前年から9ランクダウンし、2006年の公表開始以来最低だった。質の高い論文ランキングでも1位の中国はもちろん、イランにも抜かれ13位に転落した。

これだけデータを並べれば、日本がもはや「大国」「先進国」の名に値しない「衰退途上国」ないし「中進国」に転落したことは一目瞭然だろう。

日本だけではない。5月に開かれたG7広島サミットは「斜陽クラブ化」したG7に代わって、インド、ブラジルなど新興・途上国である「グローバルサウス」が、存在感と発言力を強める多極化世界秩序が浮き彫りになった。

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