東武「大宮から大和田」巨大駅の陰に何があるのか 「鉄道の街」ターミナルの片隅で放つ存在感

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通勤時間帯はとうに過ぎた真っ昼間というのに、電車が到着するとたくさんのお客が吐き出され、先を急いで改札を抜けてゆく。駅ビルの外に出るにはルミネの中を通るのがいちばんの近道だ。

そちらに向かう人もたくさんいるし、はたまたJRの改札口方面に向かう人も多い。大宮駅は巨大な乗り換えターミナルであると同時に、周辺の繁華街・オフィス街の玄関口でもあるから、アーバンパークラインに乗ってこの駅に着くお客の目的地もさまざまなのだろう。

「ごらんのようにあまり大きい駅ではないのですが、お客さまはとても多いですよ。だいたい大宮駅でJRに乗り換えるなどして通勤する方が多く、朝のラッシュ時間帯、7~8時台にはほんとうに途切れることがありません。改札前のエスカレーターが3機あるのですが、朝はそれをすべて上りにして対応しています」

管区長が語る大宮駅

こう話してくれたのは、東武大宮駅管区長で大宮駅長を兼ねる熊倉与一さん。かつて、まだ東武アーバンパークラインという愛称がなかった時代に乗務員を務めた経験を持つ、いわばこの路線のエキスパートのひとりだ。

東武大宮駅長
東武大宮駅管区長・東武大宮駅長の熊倉与一さん(撮影:鼠入昌史)

「大宮駅は新幹線との乗換駅でもあるので、大きな荷物をお持ちの方もたくさんいらっしゃいます。春日部駅でスカイツリーラインから乗り換えて、大宮で新幹線に、というお客さまも多いと思いますよ」(熊倉管区長)

東武アーバンパークラインのルーツである、北総鉄道が大宮に乗り入れたのは1929年のことだ。最初は文字通り国鉄に間借りする形で、駅そのものも国鉄との共同使用駅であった。それが独立して現在の形になったのは1967年のこと。現在のルミネ、駅ビルが完成したことに伴うものだ。つまり、駅ビルに囲まれている東武大宮駅のポジションはそのときからのもの、ということになる。

当初はまだまだアーバンパークというよりは田園地帯がほとんどだった沿線。だから東武の電車で大宮駅にやってくる人もいまほどは多くなかったのだろう。しかし、いまは押しも押されもせぬ大都市の通勤通学路線である。

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