高級メロン農家育てる、銀座千疋屋の凄い仕事術 フルーツ生産者を育成するコーチの技【前編】
今までの延長線は、ありえない――。
「ホテルもレストランも営業が止まってしまって、メロンもどうなるかわからない不安な状況でした。親しいある会社の社長が自社のECサイトを持っていて、売ってやるって言ってくれて。うちがお前のメロンを仕入れてお前の名前で売る。お前は卸しただけで、お客さんに直接売ったわけではない、って応援してくれて。でも、実際に売り始めたら(組合に)3日でバレましたね」
当時、山下さんの父親が組合のトップを務めていた。3代目のとった「問題行動」をめぐって組合ではさまざまな話し合いが行われた。「悪いことをしたとは思わない」と主張を繰り返す剛さんの頑なな態度に半ば呆れながらも、父親は最終的に農園を承継した息子の考え方を尊重し、組合組織から退く決意を固めてくれた。
だが、潔い幕引きとは裏腹に、実態は大海原に放り出された金魚も同然だった。
需要が激減するなかで、逆境が襲う
脱退したその日を境に組合共通で使っている梱包資材も、販売ルートもいっさい使えなくなる。急遽、箱のデザインから発注、出荷先の確保まで自前で取り掛からなければならなくなった。かつてない規模で需要が激減していた最悪のタイミングで迎えた、初めての逆境だった。
ところが、救いの手は思いもよらず、さまざまな方面から次々と差し伸べられた。
「話を聞きつけた大田市場の担当者が、お前困ってるだろうって電話くれて。うちに出せるように手配したから。豊洲のやつにも言っておいてやるって。その年のメロンを捨てずに済んだんです」
そして極めつきが、冒頭の石部さんがオファーしてくれた、2021年シーズンに向けた「銀座千疋屋・山下メロン園フェア」の開催だった。毎年恒例の生産組合によるフェアの先陣を切る形で、異例の「山下メロン園」を冠したスイーツイベントが2年連続で実現した。
組合から離れ、個人ブランドを確立していくうえで、これ以上ない最上級のステージが用意された。
それまで挨拶程度の関係だった石部さんと、直接の密なやりとりが始まった。なぜ独立まもない山下さんにオファーしたのか尋ねると、
「いい品物を作ってもらえたら、こちらとしては舞台を用意したい。ただそれだけのことです。山下のメロンは、それに値する」
石部さんはそう言って、急いでこう付け加えた。
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