特攻隊「と号」の教育係を命じられた下士官の覚悟 覚悟を決めよ!自分は必ずお前達の後に行く
特攻訓練は軍でも特別な扱いであるので、隊員に対しても別扱いだ。どこからかやって来て秘密で訓練し、また他の飛行場へ行って訓練する、といった具合である。彼らはごく限られた分教所の上層部から「と号飛行隊員」と呼ばれ、基礎訓練生とは別棟の兵舎で生活し訓練していた。
3月半ばになると、フィリピンは米軍の手に落ち、米軍が慶良間(けらま)列島(沖縄県那覇市より西方約40キロ)へ上陸を始めると同時に、大本営は本土防衛作戦として「天号作戦」を展開した。沖縄に航空戦力を集中する作戦である。
陸海軍はこれまでにない大規模な体当たり特攻を始めるのである。
陸軍の特攻隊は、台湾に配置された第八航空師団の指揮下にある「振武隊」を称する隊と、陸海軍の申し合わせにより、海軍連合艦隊の指揮下に入る「誠」を称する隊があった。「振武隊」は国内の、主に鹿児島県の知覧(ちらん)飛行場と、知覧の近くに急遽作った万世(ばんせい)飛行場から発進した。「誠」は主に台湾の基地から発進して沖縄へ行くのである。
沖縄戦においては、4月1日から米軍の怒濤のような上陸が始まり、これに対応するように海軍は菊水一号作戦で約390機を、陸軍は第一次航空総攻撃で約130機を投入して体当たり突入作戦を開始した。
30度の角度で突入
上田分教所の遊佐卯之助准尉は、下士官ながら将校と同等の扱いとなる上級職を命ぜられ、操縦士教育の助教の任についている。
「第一航空軍で編制された特殊任務の隊のうち、一隊の半数5名を預かることになった。早速教育隊を編制し、受入準備を進めるように」
3月初めのことである。遊佐は教官室の机で教育訓練計画書の作成に没頭していた。計画書には「と号」と書いてある。特攻要員の訓練で、遊佐はその教育を命ぜられたのである。
遊佐は教育要領書から訓練内容を拾い出し、自分の経験から訓練内容を書き込んだ。地図を広げ、実際の訓練に適した空域を探し、いくつか候補を選んで地図上に記入した。こうして遊佐は主任教官に教育の趣旨を説明した。
「ここの飛行場での訓練は、降下攻撃、急降下攻撃及び水平攻撃がありますが、水平攻撃は海がないのでできません。ピスト(訓練指揮所)の前に目印の白い布を設けて、これを目指して急降下の訓練を行うのがよろしいかと」
「先ず慣熟飛行でわが飛行場の周辺について知ってもらいます。また、敵機の攻撃を受けた時のために空中戦の訓練を行います。また、敵艦船に至るには相手に悟られないように払暁(ふつぎょう:明け方)や薄暮に接近するとのことですので、日暮れと明け方に飛行訓練、夜間飛行の訓練も行います」
――特殊任務に就きます牟田芳雄以下4名、到着しました。
陸亜密一六七二号によって第一航空軍で編制された69個隊のうちの1つ、第八一振武隊に所属する特攻要員達がやってきた。基本的に特攻隊は12人で一個隊となる。他の隊員は別の飛行場で訓練をし、期日になったら知覧で合流するという。
早速、彼らの訓練が始まった。遊佐は慣熟飛行で彼らに訓練空域を徹底的に頭にたたき込ませた。
実装機に慣れるための訓練、突入訓練などを経て、いよいよ夕暮れと早朝の訓練が始まった。夕方起きて食事をして、暗くなりかけた頃に飛び立ち、ピスト前の目印目掛けて突入する訓練を繰り返し、一旦地上に降りて休憩した後、夜明け前に離陸して降下訓練を繰り返す。