乗客減「かしてつBRT」と健闘「海浜鉄道」の違いは? 鹿島鉄道廃止と湊線存続を決断した地域の明暗

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こうしたことから、石岡市と小美玉市では、石岡駅―四箇村駅―常陸小川駅間7.1kmの鹿島鉄道跡地をバス専用道化することを決定。約8.3億円の事業費が投じられ、2010年8月30日、石岡駅―四箇村駅間の5.1kmが先行開業区間として開業。鉄道代替バスはかしてつバスとして生まれ変わり、石岡駅から茨城空港行のバスと鉾田方面行のバスが専用道を経由して運行されている。

さらに、石岡駅には約3.8億円を、常陸小川駅跡には約1.7億円を投じバスターミナルを整備。専用道も合わせてこれまで総額13.8億円が投じられた。しかし、利用者は大きく戻らず、コロナ前2019年の利用者数は1日841人と鉄道時代から半減したままで石岡駅―小川駅間の所要時間も20分と鉄道時代の14分には及ばない。沿線の茨城県立小川高校は、鹿島鉄道線を利用して石岡市や行方市などから約3割の生徒が通学していたが鉄道廃線後の2013年3月に閉校した。

また、専用道の速度は時速40kmに制限され、かつて踏切だった場所に設けられた交差点はバスのほうに一時停止が義務づけられており、渋滞が発生しない時間帯であれば、法定速度が時速50kmに設定され、こまめな一時停止も必要ない一般国道を経由したほうが快適な走行ができるという実態だ。専用道についてはBRTという建前にはなっているものの、一部からは「バス低速輸送システム」だと揶揄されているという。

平日の日中、筆者はかしてつバスに乗車。石岡駅発、専用道経由の茨城空港行のバスについては筆者を含め6人の乗車があり、ビジネスマン風の中年男性1名と中年女性3人が専用道の玉里工業団地西口で下車。小川駅では高齢女性1人と筆者の2名が下車し、無人のバスが茨城空港方面へと発車していった。

常陸小川駅跡地に整備された小川駅バスターミナルにはまったく人の気配がなく、後続の新鉾田駅行のバスに接続するために茨城空港からやってきたコミュニティバスの乗客はゼロ。筆者が乗車した新鉾田駅行のバスは筆者のほかは高齢女性1人のみの乗客で途中の集落で下車。新鉾田駅まで乗車したのは筆者1人のみであった。

活動を継続できなかった「かしてつバス応援団」

鹿島鉄道の経営問題が表面化したのは2001年8月のこと。それまで鹿島鉄道線を介して行われていた航空自衛隊百里基地へのジェット燃料輸送がトラック輸送に切り替えられることになり鹿島鉄道は貨物輸送収入を喪失した。

2002年7月には沿線の茨城県立小川高校の生徒会が中心となり「かしてつ応援団」が結成され鹿島鉄道存続に向け県知事への署名活動などを実施。親会社の関東鉄道の経営支援と沿線自治体と茨城県による公的支援が5年間行われることになり一旦は廃線危機が回避された。

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