乗客減「かしてつBRT」と健闘「海浜鉄道」の違いは? 鹿島鉄道廃止と湊線存続を決断した地域の明暗
筆者はかしてつバスに乗車後、新鉾田駅から鹿島臨海鉄道線経由で勝田駅へと向かったが、勝田駅でひたちなか海浜鉄道の列車を待っていた乗客は、若い女性や主婦層のほかビジネスマン風男性まで多くの世代にわたっており、客層が中高年女性に偏っているかしてつバスとは様子が異なる。
本社のある那珂湊駅では吉田社長に面会し、「かしてつバスと雰囲気が違う」ことを告げると「鉄道を廃止・バス転換するとバスの乗客が鉄道の半分程度に落ち込むのはザラ。バスになると客離れが加速する確定的な要因についてはつかめていないが、鉄道のほうが地域活性化で成果を出しやすいのは事実」との返答だった。また最近は「ジャニーズWESTの新曲『しあわせの花』のMVロケが行われたことで若い女性の乗客が増えた」という。
地域ぐるみの組織活動を展開「おらが湊鉄道応援団」
茨城交通湊線の存廃問題が表面化したのは2005年12月。茨城交通が不採算部門となった湊線を2008年3月で廃止する意向をひたちなか市に示したことだった。翌2006年6月これに対して危機感を持った、ひたちなか商工会議所那珂湊支所が中心となり那珂湊地域の全自治会、コミュニティ組織、商店街、観光協会などに呼びかけ「鉄道存続と利用促進に向けた自主的な運動機関」を立ち上げる。
当初は「誰も鉄道の廃線阻止運動に取り組んだ経験がなく地元の諦めムードが強い逆風の中でのスタートだった」というが富山県の万葉線や和歌山県の貴志川線存続の市民活動を参考に「鉄道利用促進と地域づくり」「湊線サービス向上」など5つの専門部会を立ち上げ住民の意識を統一するところから取り組みを開始。「市民権を持った地域住民の活動がいちばんの強みになった」とおらが湊鉄道応援団の佐藤彦三郎団長は話す。
ひたちなか市も、いち早く財政支援も視野に鉄道存続の立場を表明。当時、市長を務めていた本間源基氏は「バスは鉄道の代替交通として機能しないことは明白で鉄道再生を実証してやろうという反骨精神から存続を決断した」と当時を振り返る。本間氏が茨城県庁職員だった1980年代後半、真壁町(現・桜川市)への出向時代に「筑波鉄道線の廃線で街の活力が低下したことや住民の精神面への影響を目の当たりにした」ことが背景にあり「赤字路線だからこそ役所が関わる意義があるという思いでやりきった」という。
かしてつバスのケースでは、沿線の小川高校の生徒会が中心となったかしてつバス応援団による利用促進活動にも関わらずバス利用者は激減したままで、高校へも通いにくくなったことから、鹿島鉄道線廃止から7年後に小川高校は閉校となった。鉄道からバスになると「鉄道よりも所要時間が延び遅延が慢性化」「車内が狭く窮屈で居住性が悪化」することが顕著になるため、それまでの鉄道利用者はマイカーへと逸走し著しい客離れを招くものと考えられる。
一方で、ひたちなか海浜鉄道のケースでは、商店街との連携やアニメやゲームとコラボした利用促進活動で成果を出したほか、沿線に近隣の市立5小中学校を統合した「美乃浜学園」を新駅とともに開設するなど、まちづくりと一体となった利用促進活動に取り組んでいることも大きな特徴だ。ひたちなか海浜鉄道によると、「鉄道通学を促進したほうが通学の安全確保と鉄道活性化が両立できるうえ、スクールバスに比べて財政負担が極小になる」という。
地方鉄道は、まちづくりと一体化した活用次第ではまちを活気づける大きなツールとなりうることから、その存続運動は決してノスタルジー運動ではない。
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