毒親を乗り越えようという主張は、聞き飽きた。どうももちぎです。作家をしています。親にゲイだとバレて縁を切られ、高校卒業を目前に家出をし、そのままゲイ風俗やゲイバーで働いていました。
そんな若かりしころの経験をエッセイにしてデビューしたアラサーです。
さて、あたいは、攻撃的な言動と気分の高低が激しい苛烈な性格をしていた母ちゃんのもとで育ってきました。いわゆる毒親というものでした。父親は自殺したので、あたい以外は姉ちゃんが1人いるだけの母子家庭でした。母ちゃんはゲームが好きで、外で人間関係を構築するのが苦手で働かなかったので、そこそこ貧乏でした。姉ちゃんも早々に家を出ました。
あたいにとって、子どものころ感じていたあたいが育つ意味というのは「唯一の男手として母ちゃんを働いて稼いで支える」というものでした。母ちゃんのことを難儀な人だと思っていたけれど、まだ家庭という枠の中でしか世界を知らなかったから、母親を養うのは息子の役目だと信じていました。あたいにそう教えたのは母ちゃんと、世間の「親孝行を美徳とする考え」でした。
でも母ちゃんにゲイだとバレたとき、ひどく錯乱した母ちゃんはあたいを殺す勢いだったので、いい契機だと思って縁を切りました。そこからあたいの人生は、ようやく次の章に移ったようなものでしたが、それでもずっと頭の隅には「母ちゃんがめっちゃ借金したらどうしよう」「母ちゃんを見返す大人になろう」「母ちゃんを地元に一人置き去りにした罪悪感」などがありました。あたいは母ちゃんから離れても、その影に執着していたのです。
家庭に恵まれていたらここには来ない
毒親という言葉もそのころにはブームになっていて、当時働いていたゲイ風俗の同僚にはその概念に強く共感を示すような、過酷な家庭環境で育った人がたくさんいました。偏見を助長するわけじゃないけれど、家庭に恵まれていたら風俗って世界にはなかなか来ないと思います。
でも、毒親という言葉は、あたいたちに「親の神格化」という常識を取っ払わせてくれたのと同時に、まるでそういう存在がポッとどこからか出現して、とにかく叩き潰せば解決する問題かのようにも誤解させていました。
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