被用者保険制度の費用を、なぜ、労働者と使用者の双方が労使折半で負担するのか。「第3回こども未来戦略会議」における私の発言を参照されたい。
ビスマルクは、前史にあった共済の仕組みを社会化した側面はあったが、これらを近代化した社会保険に転化した。
もちろん、事業主負担は賃金や消費者に転嫁される。しかし、この転嫁論は、常時、瞬時に100%転嫁されるというのならば政策の世界でも意味があるが、転嫁しきれないところが残っている限り、政策論としてはまったく意味がない。
厚生年金の適用拡大をはじめ事業主負担の拡大策に経済界が強く抵抗したり、厚生年金非適用(つまり事業主負担なし)の非正規雇用を経済界が好んできたりした事実には、やはり彼らにとって労務コストを抑制できるという意識があったのだと考えられる。
もし、いつも事業主負担は賃金や消費者に100%転嫁されていると信じている人たちがいるなら、厚生年金の適用拡大に抵抗するのはナンセンスだと経済界を説得する役目に回っておいてもらえればと思う。と言っても、労使双方から無視されるだろうが。
再分配政策の評価はネットで行うのが当然だ
社会保険と言えば、条件反射的に「逆進的だ」という報道が散見される。しかし、社会保険の費用負担構造は、保険料率が乗じられる賃金月額上限が139万円である医療保険・介護保険の場合は、ほとんど賃金比例の性質であると言える。
そうした、賃金比例、労使折半で、医療、介護、年金保険制度に拠出された財源は、公費(国税、地方税)を加えられて、国民への給付に回されることになる。いわゆる、江戸時代の五公五民でイメージされる年貢の世界とはまったく異なるのが現代社会における所得再分配政策である。その構造は下図のようになっている。
現代の政府は、市場が「貢献原則」に基づいた所得の分配を「必要原則」に基づいて修正している。したがって、これら再分配政策の評価は、給付側面をも見る必要がある。
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