東武・獨協大学前、マンモス団地を支えた駅の変身 かつての「松原団地駅」は学園都市の玄関に

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東武にとって悩ましい問題だったが、幸運にもすぐに解決する道筋がついた。1964年に獨協大学が開学したからだ。大学の開学により、朝ラッシュ時に通学需要が生まれ、浅草駅からの折り返してくる電車にも多くの学生が乗るようになった。

獨協大学
獨協大学は松原団地駅から徒歩5分の場所にあり、団地住民とともに東武の需要増に一役買った(筆者撮影)

東武が松原団地駅前に獨協大学キャンパスを誘致したのは、長らく電車運行の効率性を高めるためと言われてきた。実際、大学の開学で浅草駅から折り返す電車は多くの乗客を乗せている。しかし、当初の獨協学園は東京都東村山町(現・東村山市)に所在していた国立村山療養所(現・国立病院機構村山医療センター)にキャンパスを構えることを検討し、草加は予定外だった。

獨協の学園長だった天野貞祐は文部大臣を務め、退任後に学園長に就任。大学の開学を悲願にしていた。その天野は、大学用地として国立村山療養所に着目していた。同所は大蔵(現・財務)省が所有する国有財産だったが、大蔵省は大学用地として売却するには文部(現・文部科学)省から開学認可を得ていることを条件にした。一方、文部省は大学の敷地を確保しなければ開学の認可を出せないと渋っている。

こうした状況から大学の開学は行き詰まり、獨協大学は幻に終わろうとしていた。一方、同時期に東武鉄道は沿線に大学を誘致するべく、東上本線の霞ケ関駅と坂戸駅、のちに松原団地駅となる伊勢崎線の北草加駅(未開業)に広大な敷地を確保していた。それを聞きつけた獨協学園の関係者は、3カ所を視察。計画段階では北草加駅と仮称されていた駅一帯を第一候補に定める。

団地と学園都市の2つの顔

獨協学園と交渉にあたった東武側の責任者である関湊は、東武総帥の根津から絶大な信頼を寄せられていた。関は同学園との交渉で、大学を誘致できることや学生による通学需要が期待できるからといって土地を安売りすることはしなかった。学園の関係者たちは、売値が高いことを難点としながらも、東京都心部から近いという立地に魅力を感じて購入を決断。中学・高校の卒業生からの寄付や大学債の発行、銀行からの融資によって資金を調達した。

こうして学園は、東武所有の3万5000坪のうち2万4000坪を大学用地として購入する。東武と獨協大学の交渉過程を見ると、大学用地の売買はビジネスだったことが透けて見えるが、関は獨協学園との交渉で天野の思想に感銘を受けた。天野も関の人柄に惚れ込んでいる。大学用地の交渉で両者は関係を深め、関は獨協学園の理事に就任。後に理事長も任されている。

松原団地と獨協大学が誕生したことにより、駅前風景は数年で急変した。それまで一面に水田が広がる農村然とした街は、大規模な住棟が立ち並ぶ住宅地と学生が闊歩する学園都市というふたつの顔を持つようになった。

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