ハウス・オブ・ヤマナカ 東洋の至宝を欧米に売った美術商 朽木ゆり子著 ~跡形もなく消えた美術商の謎に迫る
20年ほど前のことになるが、ロンドンにあるボンナムズという美術商を訪れたことがある。年代を経たビルの重厚なドアを開けると、モデルと見まがう美男美女による丁重な出迎え。階段を上ってオーナー社長の部屋に入れば、高価な陶磁器が無造作に並び、絵画の名作が所狭しと壁を飾っている。美術商の奥の院を垣間見て、居心地の悪さを覚えたものだった。
本書はそうした美術商のうち、日本ではほとんど無名だが、戦前の海外では圧倒的な知名度を誇った山中商会と、そのオーナーの山中家、番頭たちの物語である。著者はヨハネス・フェルメールの連作を書き、美術の世界に精通している書き手だ。
山中家の分家の娘婿となった山中定次郎が、売れるという見込みで仕入れた国宝級の屏風の商談がいったん破談となり、投身自殺を考えるところから本書は始まる。幸い商談が復活し、定次郎はその後、ニューヨーク、ロンドン、北京など世界中を股にかけて活躍する。山中商会の凄さは、「メトロポリタン美術館、ボストン美術館、大英博物館など、大規模な東アジア美術コレクションのデータベースを覗くことが可能なら、山中商会が供給源である美術品を数百点、いやそれ以上の規模で見つけることができるだろう」という記述からも明ら
かだ。
それだけの隆盛を誇った山中商会が戦後、「跡形も無く消えてしまった」理由を著者は第2次大戦に求めている。米国にとって敵性国の資産である山中商会の美術品が接収され、戦中、戦後に売りさばかれてしまったのだ。山中商会の顧客には日本美術を顕彰したアーネスト・フェノロサや岡倉天心がいる。岡倉に至っては特製の弁当を山中商会のニューヨーク店で食べることを常としていたらしい。
山中商会の興隆のきっかけは1876年開催のフィラデルフィア万博のようだ。最も人気を集めた日本館には「色彩豊かで装飾たっぷりな磁器や七宝の大型花瓶が、ピラミッドのようにびっしり積み上げられ」ていたらしい。その万博が「ほとんどのアメリカ人にとって日本の美術品や工芸品を見る初めての機会」を提供し、ロックフェラー家をはじめとする美術品愛好家の富豪たちと山中商会との取引につながっていく。
松方コレクションとのかかわり、顧客であり後に山中商会の店舗の大家となったロックフェラー家との手紙のやり取りなど面白いエピソードがある。中でも清朝保有の名宝が海外へ流出した件と山中商会とのかかわりは世界史をリアルタイムで見るような醍醐味にあふれている。「異界」の美術品市場について学ぶ入門書にもなる好著。
くちき・ゆりこ
東京生まれ。国際基督教大学教養学部社会科学科卒業。同大学院行政学修士課程修了。米コロンビア大学大学院政治学科博士課程に学ぶ。1987年から92年まで『日本版エスクァイア』誌副編集長。94 年よりニューヨーク在住。
新潮社 2100円 356ページ
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