順天堂医学部「医師国家試験合格率100%」の裏側 「医系私学の勝ち組」といわれる所以と寮生活
医科大・医学部を持つ大学には、通常、国試を総括する“国試担当委員会“がある。同大医学部でその役割を担っているのが、「卒業支援委員会」だ。委員長を務めているのが同大医学部・医学教育研究室の冨木裕一教授(専門は消化器外科)。
合格率100%達成に対する内外の反応はものすごいという。「生徒の頑張りのおかげで、順天堂大関係者をハッピーで、誇らしい気持ちにしてくれた」と破顔一笑する。
同大医学部は、合格できる雰囲気づくりに尽力する。学内に勉強部屋を12室用意し、それぞれの部屋に指導教諭を配置。模擬試験などの成績が芳しくない学生ほど勉強部屋での受験勉強を推奨するなど、学生を全面的に支援する。
1番でも9000番でも「同じ」
コロナ禍で感染対策を徹底するために勉強部屋が一時、使用できないこともあった。冨木教授は「国試対策の最後の詰めが甘くなり、苦戦を強いられた。
今回も、マスク着用により学生の顔と名前が一致せずコミュニケーションが難しいこともあったが、学生はよく頑張ってくれた」と繰り返し学生たちを称える。
学生が「冨木先生!!」と慕ってきても、その学生の名前が思い浮かばず、すぐに返答できなかったことを今でも悔しがる。冨木教授は学生に対して、「国試は資格試験なので、1番で受かろうと9000番で受かろうと医師免許には変わりはない。皆で高め合っていこう」と鼓舞し続けてきた。
冨木教授は長野県出身で1987年卒。学生は入学後に原則1年間の寮生活を始める。冨木教授は寮の部屋長を任されたため、ほかの学生よりも長い2年の寮生活を経験。自身を「寮信者」と呼び、多様な人との出会いにより、今のキャリアの一端が形成されていることを否定しない。
その寮は現在、千葉県印西市の同大さくらキャンパスの敷地内にある。今の学校法人順天堂のルーツである財団法人順天堂医科大は、1947年に順天堂医科大学予科として開設された。
その際は、千葉県の津田沼町習志野(現在の習志野市)の旧陸軍の木造兵舎跡を大蔵省(当時)から借用して、校舎と寮に改造した。その寮の名前は「啓心寮」という。
1988年、校舎と寮は同県印西市のさくらキャンパスに移転した。コロナ禍は医学部生の入寮を中止したが、以前は同大スポーツ健康科学部生と共同生活をしていた。スポーツ健康科学部はかつて体育学部という名称で、2020年東京オリンピック・パラリンピックでも活躍したスポーツエリートや、箱根駅伝で過去11度の総合優勝をしている陸上競技部の学生がいる。
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