ワグネル「裏切り」で露呈したプーチン体制の弱点 プリゴジンのことは最後まで信頼していた?

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プーチンは政権に就いて間もなく、1990年代にエリツィン大統領に絶大な影響力を持っていた「オリガルヒ」と呼ばれる実業界の大物たちを力ずくで叩き潰した。その後、プーチンは敵対するグループ間の競争が激化するのを容認し、責任が重複する治安機関を育成さえした。例えば、捜査委員会、検事総長、連邦保安庁はすべて犯罪捜査に関与している。

戦争で荒廃したチェチェン地方で、カディロフは私的な領地を築き上げ、プーチン自身以外には忠誠を誓わなかった。

あるロシアの実業界の大物は、匿名を条件にプリゴジンの台頭を振り返り、プーチンの統治手法はつねに "分割統治"だったと語った。また別の人物は、ロシアの敵対する法執行当局についてこう言った。「誰に逮捕されるかわからない」。

2022年2月のウクライナ侵攻が敵味方を問わず唖然とさせたように、プーチンの戦略はロシア国内にとどまらず、外交政策にも及んだ。

協力者には莫大な報酬がもたらされた

しかし、そのシステムをうまく利用した者には、莫大な報酬がもたらされた。プーチンの若いころの柔道のスパーリングパートナーは建設業の億万長者となり、クリミアにプーチンの目印となる橋を架けた。KGBの退役軍人は現在、ロシアの軍産複合体と石油部門を監督している。1990年代のサンクトペテルブルク出身の友人は、ロシアで最も重要な民間メディア資産と、プーチン自身の金融取引の結節点にあると言われる銀行の管理を任されている。

プリゴジンは、2000年にサンクトペテルブルクのレストラン経営者としてプーチンと知り合ったと語っている。その個人的なつながりを政府との有利な契約に結びつけ、クレムリンにとって冷酷で幅広い問題の解決者であると自称した。

2016年、ロシアがアメリカ大統領選挙をドナルド・トランプ側に揺さぶろうとしたとき、プリゴジンはインターネットの「トロール工場」とともに戦いに飛び込み、「アメリカに対する情報戦」を繰り広げた。ロシアがシリアとアフリカで勢力を拡大しようとしたとき、プリゴジンは拡大するワグネル傭兵部隊をこれらの地域に派遣した。

プリゴジンが語るところによれば、ウクライナでワグネルが招集されたのは、プーチンの最初の侵攻計画が失敗した後だった。戦争が始まった最初の1年間は、プリゴジンはロシアの刑務所を回り、何千人もの受刑者を集めて戦力を増強していた。

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