師匠・杉本昌隆が綴る「藤井聡太と過ごした時間」 "天才"を弟子に持つ「師匠の苦悩」と独特の関係
実はこの頃、私は対藤井戦? に備えて鏡の前でスカウトの練習をしていた。
「藤井君、プロを目指すならうちの一門にこない? おやつも食べ放題だよ」
うーん却下。軽すぎる。では熱血上司風ならどうだ?
「聡太、黙って俺についてこい」
全然だめだ。自分のキャラから程遠い。
そうなると、やはり自然が一番か。
「藤井君、師匠は決めたかな? 分からないことはいつでも相談に乗るよ」
おっ? 押しつけ過ぎない程度に将棋界の先輩をアピール。完璧ではないか! さすがの天才少年も、これが後の師匠の布石になるとは読めまい。
(あれ? 別の先生に弟子入りするはずが、なんで僕は杉本門下になっているんだろう?)となったりして……クックックッ。夜中に一人、黒い笑みがこぼれる。
まったく良い歳の大人が何やっているんでしょうね。
しかし翌日になると急に冷静になる。結局、本人に話しかけることもなく練習の意味もなかったのだが、それから程なくして聡太君とお母さんが私の元に弟子入りの挨拶に来られた。案ずるより産むが易しである。
弟子入り直後に指した記念の対局で私は敗戦。後にテレビ含め、様々なところでこれが話題になる。
「藤井さんは10歳のとき師匠に勝ったって」
「それって師匠が弱いだけじゃないの?」
天賦の才を持つ弟子を身近にして分かるこの苦悩。師匠はつらいよ。いやいや、だがこれが結構嬉しくもあるのだ。
この春、読者の皆さんにも素晴らしい出会いがありますように。この連載もご愛読いただけたら幸いです。
棋士にとって誕生日とは“ほろ苦い” もの
さる11月13日は私と妻の誕生日だった……と書くと妙に思われるかも知れない。実は私、年齢こそ離れているものの妻と誕生日が同じなのだ。
これの良いところは、妻の誕生日を決して忘れないことである。
「もうすぐ君の誕生日だね。大事な日だから覚えているに決まっているじゃないか。ハッハッハ」
若かりし日、臆面もなくこう言っていたような……。しかし月日が経つと誕生日の特別感も薄まり、クリスマス程度に格下げされる。
「おめでとう、自分のプレゼント要らないから君の分も無しね」
文字にすると我ながらひどい男だ。それでも何とかやっていけているのは妻のおかげである。
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