「なぜ推しが好きか」の言語化が超有意義な理由 「好き」は揺らぐ、しかし感情は自分の中に残る
でも、たとえ「好き」が揺らいで消失したとしても、一度「好き」を言葉にして残しておけば、その感情は自分のなかに残り続けます。
たとえば、推しがアイドルの場合。ライブや新曲を追いかけて、楽しい日々を送っていた。でも、スキャンダルが発覚し、たくさんの人からそのアイドルが非難されて、自分もまたショックを受けた。そうするうちに、そのアイドルを好きではなくなってしまった。こんな悲しい出来事があったとしましょう。
あなたは、そのアイドルを好きだったときに「好き」を言語化して、自分のスマホのメモ帳に残しておいた。スキャンダルから少し経って落ち着いて、そのメモを見返してみる。すると、もう存在しなくなった自分だけの「好き」が、そこに保存されているんです。
「好き」を言葉で保存する
別に、それを読み返せばもう一度好きになることができる! と言いたいわけではありません。
ただ、そこに「好き」があったことを思い出せる。今はもう好きじゃなくても、いつのまにか自分の一部になっていた「好き」の感情が保存されている。これって意外と大切なことじゃないでしょうか。
もちろん、写真を残したり、グッズを置いておいたりすることも「好き」を保存するいい方法でしょう。
でも、一番鮮明に残る「好き」は言葉です。
「好き」は儚いからこそ、鮮度の高いうちに言葉で保存しておいたほうがいいんです。そして、言葉という真空パックに閉じ込めておく。
いつかやってくる「好き」じゃなくなる瞬間を見据えて、自分の「好き」を言葉で保存しておく。すると、「好き」の言語化が溜まってゆく。それは気づけば、丸ごと自分の価値観や人生になっているはずです。
誰かにけなされても、自分が変わっても、推しが変わってしまっても。自分の「好き」についての揺るぎない言語化があれば、自分の「好き」を信頼できるはずです。
自分の「好き」を信頼できることは、自分の価値観を信頼することにつながります。だって、好きなもので自分はできあがっているのだから。
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