「なぜ推しが好きか」の言語化が超有意義な理由 「好き」は揺らぐ、しかし感情は自分の中に残る

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推しの魅力とか、簡単に言葉にできない。「最高だった」「やばかった」「すごかった」しか浮かばない。「推しを見て感動した」、その先が言語化できない。

でも、私はその状態が悪いことだとはまったく思いません。なぜなら、感動が脳内ですぐに言語に変換されないのは当たり前のことなんですよ。

だって、感動とは言葉にならない感情のことを指すから。

昔の人も「やばい!」を使っていた!

古語に「あはれなり」という言葉があります。これって「なんか胸がじーんとする」「グッとくる」「うわあって言いたくなる」といった感覚をひと言でまとめた語彙なんですよね。

胸になにかがグッと飛び込んでくる。そして、感情がぶわっとあふれる。あふれた感情はプラスの場合(=いいものだと思う)もマイナスの場合(=悲しいものだと思う)もどちらもある。

良くも悪くも、感情が振り切れる体験――それが古語の「あはれなり」です。昔の人はよくこんな便利な言葉をつくったものですよね。

しかし、現代語には「あはれなり」に代わる語彙がない。

感動したとか、感激したとか、そういった言葉が一番近いですが、「あはれなり」が指す感情すべてを包括する語彙はありません。だから私たちは、「あはれなり」の現代語バージョンとして、「やばい」という言葉をいつのまにか発明したのでしょう。「やばい」って、それがプラスの感情だろうとマイナスの感情だろうと、どちらかに指標が振り切れているといった意味ですよね。いいときもよくないときも、なにか自分の感情が大きく動くような事態に対して、私たちは「やばい」を使う。あれは古語の「あはれなり」とまったく同じ意味なんです。

これは余談ですが、そう考えている私は「『やばい』を使う最近の若者は語彙力がない!」って批判する気持ちがわからないんですよね。だって「やばい」って、要は「あはれなり」と同じ使い方をするんだから。平安時代はオッケーで現代ではダメなんて、意味がわからない!

そんなわけで、日本には昔から「感情が大きく動くこと」をひと言「あはれなり」でまとめてしまう文化があるわけです。そして、なぜ「あはれなり」でまとめられるかというと、もう、そう表現するしかないからです。

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