京都三大学 京大・同志社・立命館 東大・早慶への対抗 橘木俊詔著~地位低下は東京一極集中の反映
著者は消費、労働、格差についての専門家であるが、これまでも早稲田、慶応、東大などについての著作があり、学校の特徴を分析するのに習熟している。最初に、京大はん、同やん、立ちゃん、という言葉が紹介される。京都市民の京大、同志社、立命館の学生に対する愛称である。各大学がマンモス化するなかで、それらの特徴は薄くなってはいるが、なお残り、それぞれ、お高い、ぼんぼん、庶民性を表しているという。
京大は、その設立から東大に対抗することを求められていた。東大が唯一の帝国大学であり、他に競争者がいないために特権的地位に甘んじ、研究・教育に怠慢になりがちだから、新しい大学が必要だと、明治の衆議院議員が文部大臣に進言したことがきっかけだったという。
教育に競争はなじまないと言う今日の文教族を見ると、明治は開明的な時代だったと改めて思う。しかし、京大はなかなか東大のライバル的位置を得られなかった。学生の希望は、高等文官試験に合格することだったが、京大はその面では圧倒的に不利だった。試験問題を作成し、口述試問の面接に当たるのは、半分以上が東大教授だったからだ。教授の言うことを暗記して試験に臨むのが高文試験だから、これはかなわない。口述試問がなくなり、過去問が公開され、公務員試験予備校がある今日は公平なのかもしれない。
京大はやがて試験ではなく学問で成果を挙げるようになる。戦前には西田幾多郎や河上肇、戦後には湯川秀樹、朝永振一郎たちが登場する。京大卒がビジネスで活躍しているのは意外に感じたが、商都大阪を背景にしているのだから当然だろう。
新島襄が創設した同志社は、徳富蘇峰・蘆花兄弟、深井英五などの人材を輩出し、関西トップ私学の位置を得る。しかし、その後はその地位に安住して停滞したと評価される。
立命館は、苦学生を積極的に受け入れる方針を打ち出し、軍国主義にも協力するが、戦後は一転して、左翼路線に舵を切る。左翼路線の終息後には、キャンパスを拡張して拡大路線を取るというのも面白い。
京大、同志社、立命館は東大、慶応、早稲田に対して地位を低下させているが、それは東京一極集中を受けたものであるという。確かにそうなのだろうが、戦前の京大が東大と同じ平面で競争した時には地位を低下させたが、異なる平面において地位を上げたことは参考になるのではないか。
大学は世間と戦いつつ、世間に認められるものでもある。著者の大学論は、社会、文化、人物論、経営論にわたり、飽きさせない。
たちばなき・としあき
同志社大学経済学部教授。1943年兵庫県生まれ。小樽商科大学卒業、大阪大学大学院修士課程修了、米ジョンズ・ホプキンス大学大学院博士課程修了(Ph.D.)。京都大学教授を経る。その間、仏米英独で教育・研究職。
岩波書店 2730円 246ページ
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