「プラセボ効果」と茶道のちょっと意外な共通点 偽薬で効果を感じられる2つのポイント

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プラセボが重要であるとすれば、それはどのような条件で可能なのでしょうか。2つのポイントがあるように思います。それが「場」の力と「身体的な行為」です。

まずは前者から考えてみましょう。臨床試験の例でいうと、製薬会社からの説明の場が、すでに非日常な身心を準備する場です。薬剤を新規に承認するための社運がかかった臨床試験に参加しているため、その説明や同意も物々しいものであり儀式的な空間で行われています。多くの人たちに囲まれて特殊な場の雰囲気を感じながら「このようにしっかりした形式で説明されるのだから、効果のある薬に違いない」と無意識のうちに心は動いているのです。

新規の薬の効果を判定する臨床試験の場は、厳密なプロセスを経て行われるため、何度も何度も丁寧な説明があり、サインをします。そこで治験を受ける人は、平静を保ちつつも意識は高揚し、正常な意識状態とは言えません。説明される言葉も、日常では使われない言葉ばかりです。多くの関係者が関わった場の中で、ついに「薬を飲む」という行為は、まさに儀式そのものです。

こういった「場」の力が、わたしたちの深い無意識へと影響与えることは間違いありません。「薬を飲む」までに至るプロセスは、極めて厳粛で物々しい言葉と行為の連続なのです。といってもプラセボ効果は、精神面への影響ばかりで起こるのではないとも思います。

「飲む」という行為そのものが治癒に効果的

ここで、2つ目のポイントである「身体的な行為」の話をします。科学ジャーナリストであるジョー・マーチャントの『「病は気から」を科学する』には(原題は「CURE: A Journey into the Science of Mind Over Body」)、プラセボ効果と身体的な行為との関係に触れた一節があります。

それによると、「飲む」という行為そのものが治癒に効果的だそうです。つまり、頭の中だけで「この薬は効くだろう」と思うだけでは不十分であり、実際に口に入れて「飲む」という行為が重要であるということです。

頭のイメージだけではなく、飲むという身体的・肉体的な行為こそが、内臓をはじめとした内的生命世界のスイッチを押すのです。複雑な連鎖反応の中で結果的に治癒へとつながっていくのだろうと思います。

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