経営トップによる情報共有化の呼びかけが効果、リコーは被災工場の完全復旧にメド【震災関連速報】
「包み隠さず、経営トップにすべての情報が入るようにしてくれ」。東日本大震災の発生直後、リコーの近藤史朗社長が従業員に指示したことは、情報収集の徹底だった。
リコーは巨大地震により、リコー光学(岩手県花巻市大畑)など5つの生産拠点の操業を停止した。特に影響が大きかったのが、東北リコー(宮城県柴田郡柴田町中名生神明堂)。複写機部品やトナーを生産する重要拠点だが、震災で天井や壁、配管などが崩れ落ち、機械も横転するなど錯乱状態に陥った。ただ、現在はほとんどの拠点が活動を再開している。東北リコーも5月中旬には復旧できそうだ。比較的早期に完全復旧できる背景にあるものは、従業員の不眠不休の作業とともに、現場情報を共有化するシステムの構築だった。
震災直後の3月13日、リコーは本社に「災害対策本部」を設置した。社長をトップに生産、販売、IT関連、人事など各部門を統括する約15人のリーダーで構成される組織だ。居並ぶリーダーに対し、近藤社長は「まず、グループ社員の安否の確認を。部品供給先などの安全確認も。そして、情報ルートの確保を徹底して欲しい」と要請した。
そこで、対策本部は、ロータスノーツ(IBMのグループウェア用ミドルウエア)を基盤とする社内ネットワークを活用。「震災対策」の項目に、「従業員の安否情報」「仕入先情報」「物流状況」「生産復旧の見込み」「他の拠点から支援して欲しいもの」など複数のカテゴリーを設定し、従業員へ書き込みを呼びかけた。
「水や食料は意外に足りている。トイレットペーパーとゴム手袋を送ってくれ」「ガソリンも必要だが、それよりも工場の稼働に必要な重油を優先して欲しい」--。現場からの生の声が、1日あたり300件も書き込まれた。こうやって集まった情報を災害対策本部のスタッフが整理し、社長を含めた役員に報告。震災後の1週間は毎日、2週目からは週に3日、現在は週に2日の間隔で、報告会を開催している。
インターネットを活用したテレビ会議システムも有効だった。持ち運び可能な小型プロジェクターサイズの新製品を今夏に発売予定だったが、3月17日の朝、近藤社長が「(試作機を)現場に配れ」と指示。約20台を東北リコーなど被災拠点を中心に配布した。このシステムで、生産関連の調整など現場間の微妙なやりとりをすり合わせることが可能になった。
そもそも、リコーは数年前から、BCP(災害などの際に、限られた経営資源で事業活動を継続するための計画)を策定していた。「前々からシュミレーションしていたこの計画を、今回活用することができた」と、総務部の見目敏博部長(災害対策本部の事務担当)は語る。
例えば、ネットワークの運営・管理を2社に依頼する「ネットワークの2重化」をいち早く実施していた。コストは2倍になるが、危機時に備えていたことで、今回システムダウンすることなく社内ネットワークが稼働した。また、ネットワークにアクセスできるツールの多様化も効果があった。従業員は自宅のパソコンや携帯電話などを駆使し、電気が止まっていない拠点や個人宅から情報を発信することができた。
情報共有化により生産拠点再開にこぎつけたリコーだが、今後は電力不足の影響が懸念される。東京電力の管轄内に、同社の主力工場である御殿場事業所(静岡県御殿場市)や沼津事業所(静岡県沼津市)を構えるため、夏場に向けての本格的な節電対策が求められよう。
(梅咲 恵司 =東洋経済オンライン)
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