顧客のために店は開け続ける!震災直後の混乱の中、いわき市のスーパー店長は何をどう判断したか

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 従業員の中にも、自宅が全壊した者が少なくなかった。そこで、岩野さんは店の2階にある食堂を避難所代わりにし、家族も含めて30人以上で共同生活を始めた。、顧客から、「店は開けるのか」という類の問い合わせ電話は1日300本はかかってきた。岩野さんは何時であっても電話に出て、「最低限しか商品は入りませんが、店は開けます」と答え続けた。動揺する顧客に安心してもらおうと努めた。

原発で水素爆発が起きた3月14日は、配送車の運転手がおびえ、なかなか配送車が着かずに心配した。「店に配送車が来てくれたのは夜中23時過ぎ。食堂に避難している従業員全員で商品をトラックから下ろした」という。

同店の従業員数は約200人だが、被災したり、市外に避難したりして店に出勤できたのは3分の1程度にすぎなかった。これに、東京の本部が派遣した20人の応援部隊を加えた90人ほどの体制でオペレーションを続けた。

4月に入って、次第に顧客も従業員も落ち着きを取り戻してきている。しかし、従業員の間では、「みんな、自然に原発の話はしないようにとしている」と言う。
(浪川 攻 =東洋経済オンライン)
 

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