G7サミット閉幕「衆院解散ムード」急加速の裏側 岸田文雄首相の狙う「3度目の正直」の成否

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そうした中、岸田首相が秘かに狙っているのが、日本開催のサミットを主催した宏池会領袖の先輩首相2人が失敗した、「サミット解散」による勝利だ。5月17日夜に都内のホテルで開催された岸田派パーティで主催者としてあいさつした際も、「宏池会出身の首相として宿命を感じられずにいられない」とあえてリベンジへの決意をアピールしてみせた。

歴史を振り返ると、1979年6月下旬の東京サミットで議長を務めた大平氏は、同年10月上旬投開票となった衆院選で自民過半数割れとなり、その後の「大平降ろしの40日抗争」に神経をすり減らし、翌1980年の与党内造反による内閣不信任案可決による衆院選の最中に、心筋梗塞による心不全で急死した。

また宮澤氏は、1993年7月上旬の東京サミットの議長だったが、その直前の国会で自民党分裂による内閣不信任案可決で衆院選の最中のサミット開催となり、持ち前の外交通としての指導力を発揮できず、7月18日投開票の選挙戦で、自民大幅過半数割れと敗北、政権交代・自民下野という屈辱を味わった。

日本開催サミットは清和会と宏池会が「3対3」

ちなみに、他の日本開催のサミットで議長を務めたのは1986年東京サミットの中曽根康弘元首相(故人)、2000年沖縄サミットの森喜朗元首相、2008年北海道・洞爺湖サミットの福田康夫元首相、2016年三重県・伊勢志摩サミットの安倍晋三元首相(故人)の4氏だ。

このうち、森、福田、安倍3氏はいずれも現在の圧倒的最大派閥・清和会の最高幹部。つまり、今回の広島G7開催で、7人のうち清和会と宏池会が3対3となったわけだ。その中で、森氏はサミット直前の2000年6月の衆院選で敗北し、同年秋の「加藤の乱」による党内混乱の果てに、2001年4月に退陣。福田氏はサミット直後の2008年9月に、解散もできずに自ら退陣を決めた。

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