東日本大震災当日から欠かさずに営業を継続したヨーカ堂石巻あけぼの店、品ぞろえ充実で市民生活改善を後押し
イトーヨーカ堂石巻あけぼの店(宮城県石巻市)--。東日本大震災の被害が最も大きかった石巻市内にありながら、震災後、1日も欠かさずに店舗を開き続けてきた。東洋経済記者の取材に応じた青山稔店長は、「店を開け続けることがお客様の安心につながる」との確信に基づき、停電のさなかにも粘り強く営業を続けた。
記者が訪れた3月26日午後5時前、店舗内には当時の被災地とは思えないほど、豊富な量の品々が並べられていた。
「当初は水やカップラーメンなど簡便性の高い商品の販売が中心だった。その後、生肉、総菜、お寿司…と、お客様の通常の生活に必要なラインナップを拡充していくように心がけてきた」(青山店長=右写真)。
その中でも「絶対に必要なのがおコメ。産地はこだわることができないが、おコメがあることで安心感が高まる。次いでカレーなどに必要な調味料のニーズが高まると考えた。『サラダ野菜』も食べたいとお客様は思うようになってきたので、レタスやトマトもそろえるように努力している」(同氏)。
店舗を開け続ける努力は並大抵のものではなかった。3月11日午後2時46分、大地震に見舞われる中で、来店客をいったん店舗外に避難させた。そして、店内やバックヤードに散乱する商品を取り除いて通路を確保。夕方6時に営業を再開した。
当時、停電が起きていたため、自家発電を使用。「非常灯がついている間は店を開け続けよう」と考え、店舗の出入り口付近で「懐中電灯や電池、水、カップラーメンなどを中心に通常の閉店時刻である午後9時まで店を開け続けた」(青山店長)。
イトーヨーカ堂石巻あけぼの店外観
ただ、営業継続には困難を伴った。
「いちばんの問題はレジだった。停電していたので、すべてのレジが動かなかった。そこで、(1)商品と値段を読み上げる担当、(2)リストを作る担当、(3)電卓を叩いて集計する担当、(4)袋に詰める担当、に分け、殺到する来店客に対応した」(青山店長)。
翌12日は通常10時の開店のところを、深夜1時半から並ぶ人もいて開店前に300~400人の行列ができていたこともあり、1時間繰り上げて9時に開店。カップラーメンやもち、パンなど保存のきく商品を中心に、店内の在庫を販売し続けた。