哲学とは、「反社会・非社会的営み」である

論文を書かずとも、血肉になる哲学はできる

哲学書が難解なのは(少なくとも難解そうな外見をしているのは)、通俗的・社会的言語を打ち砕き、その破片を眺めながら、新たな言語を構築しようとするからです。しかも、これはそれぞれの哲学者が勝手にやっているわけではなく、そこには歴史的脈略(伝統と言いかえてもいいかもしれない)がある。

何でも思いついたことを自由自在に言えばいいというものではなく、ここを突くと、こうなり、ここに歪みが生じ、といって、そこを削ると、今度はこちらにひずみが生ずる……というような、これまで先人たちが2000年以上にわたって身を粉にして挑んできた数々の企てを、そして、それらの企てのほぼすべてに何らかの欠陥があることをも知る必要がある。

それはいわば「哲学難問集」であって、それらを「自分の問題」にすることが必要なのです。時間をかけてカントやヘーゲルを読解するとは、この作業をすることです。

通俗的言語を跳ね返す「からだ」を鍛える

いま哲学塾で読んでいる哲学書は『二コマコス倫理学』(アリストテレス)、『純粋理性批判』(カント)、『実践理性批判』(カント)、『大論理学』(ヘーゲル)、『死に至る病』(キルケゴール)、『権力への意志』(ニーチェ)、『イデーン』(フッサール)、『存在と時間』(ハイデガー)『カントと形而上学の問題』(ハイデガー)、『存在と無』(サルトル)、『全体性と無限』(レヴィナス)、『善の研究』(西田幾多郎)、『倫理学』(マッキー)であり、またギリシャ語で『ソクラテスの弁明』(プラトン)を、ラテン語で『精神指導の規則』(デカルト)と『エチカ』(スピノザ)を、ドイツ語で『永遠平和論』(カント)を読んでいます。

これまでも、この5倍くらいの哲学書を読みました(いまたまたま分析哲学系の哲学書がないのですが、これまで、フレーゲ、ラッセル、ヴィトゲンシュタイン、ストローソン、クリプキ、パトナムなどの著作を読みました)。ちなみに、本格的な物理学の講義もあります。

こうした言語の森の中に一時的にでも浸ることによって、日々刻々と前後左右からあなたを襲ってくる通俗的・社会的言語に抵抗し、その夥しい量の槍をも矢をも跳ね返す「からだ」を鍛え上げるのです。ただ哲学書の字面を受け容れるだけではない。自分勝手な解釈に陥らないためにも、他人から鋭い批判を浴びねばならない。

そして、どんなに批判されても「ああ、そうなんだ、やはり未来はないんだ、やはり世界全体が観念なんだ、よいとは何かは全然わからないんだ」と「からだ」全体でわかり、他人をもある程度説き伏せることができるとき、その知識は「血肉」になったのです。

とはいえ、こういう反(非)社会的言語は、社会ではひどく嫌われますから、そう言いたくてもその場所がない。あなたを批判する他人も、あなたが説き伏せる他人もいない。そこで、こういう反(非)社会的真理を心ゆくまで求めても逮捕されない、排斥されない、軽蔑されない場が必要なのであり、それが「哲学塾」なのです。

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