広島マツダ「障害者マネ動画」の謝罪が酷すぎる訳 従業員が炎上、会社の対応が火に油を注いだ
広島の企業社会のなかでは、広島マツダは「圧倒的な存在」だろう。よほどの不祥事を起こさなければ、地元の記者であれば今後の取材での関係性を気にして、忖度するかもしれない。
グループとして、閉じられた、そして特殊な「広島の企業広報ムラ」「自動車広報ムラ」から出た経験が乏しければ、今回のような「中途半端な謝罪対応」となるのは必然だったのかもしれない。
残念な広報対応がイメージを損ねる
さて、最後に私のマツダへの「個人的な感情」についても述べさせてほしい。ここまで厳しくマツダのことを書いてきたが、実は私自身の愛車はマツダなのだ。
「優れたコストパフォーマンス」「特徴的なデザイン」「国産車ならではのトラブルの少なさ」と、実用性を最も重視する私にとってマツダ車は魅力的な存在だ。
「車そのもの」に加え、私が魅かれたのが「マツダの企業としての立ち位置」だった。私はテレビ東京の記者時代、中小・ベンチャー企業を好んで取材し、現在は中小・ベンチャー企業を中心に広報PRの支援に取り組んでいる。
マツダは企業規模で言うと、れっきとした大企業だ。だが、トヨタやフォルクスワーゲンのような世界的な巨人がひしめく自動車業界にあって、必死に個性を打ち出そうと悪戦苦闘する姿は「中小企業的」である。
「中小・ベンチャー企業好き」の私は、そんなマツダの立ち位置に魅かれたのだった。加えて、消費者としても日本企業を応援したいという気持ちも持っている。
今、マツダは生き残りを賭けて「プレミアムブランド」化を図っている。かつての安売りイメージを払拭し、販売店も「レクサス」のような外観にリニューアルしながら、新たに発表する車を「高級車路線」に近づけている。
だが、同じ「マツダ」という名を冠した企業で今回のような「残念な広報対応」が行われれば、せっかく「車づくり」で積み上げてきたイメージを棄損しかねない。
昔、あるベテランの新聞記者と飲んだときのこと。「長年、企業取材して感じるのは、製品サービスが良いだけでは、世間から『一流』とは認められない。広報や人事のような管理部門までしっかりしてこそ『本当の一流企業』と認められるようになる」という話を聞いた。
私も「マツダ車の愛用者」として、マツダには「小さいけれど、トヨタにも負けない一流」と見なされるような会社に飛躍してほしいと願っている。
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