妻に「バンパイア」と呼ばれたプーチンの素顔 どのようにロシアのトップに上りつめたのか?

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彼女は、新体操の選手で2000年シドニーオリンピック銅、2004年アテネオリンピック金(2001~2002年はドーピングで出場禁止)に輝いた“ロシアの妖精”で、4人の子持ちと報じられています。他にも、プーチンの愛人として、ミス・ロシア、アメリカで摘発された美人スパイ、元清掃婦などがいて、子どももいます。彼女たちは、プーチンによって「重要なポストに引き上げられ」たり、「膨大な資産をプーチンから与えられ」たりしています。

あるロシアの女性国会議員がプーチンについて、日本では到底ありえない驚くべき発言をしています。ロシアの上院議員(日本の参議院議員にあたる)のエレーナ・ミズーリナ議員は、ロシアがウクライナ領の一部であるクリミアに侵攻した2014年の11月、こんな演説をしています(当時下院議員、日本の衆議院議員にあたります)。

「これからの女性には、プーチン大統領の精子でどんどん子どもを産んでいただきたい。大統領を父親とする赤ちゃんを産めば、その子には愛国心があるわけですから、軍事や政治のエリートになり、ますますロシアを強くしていくことでしょう」

まるでジョークのような演説ですが、彼女は真顔でした。「プーチン大統領の精子バンクを設立し、申し込んでくる女性にはその精子を郵送する。大統領の遺伝子を受け継いだ子を妊娠し、産み、育てることになった女性には国家の特別手当を支給、赤ちゃんを順調に育てるために特別な寄宿舎に集め、専門の教育を受けさせるなど、政府としてしっかり支えていきましょう」と、述べたというのです。

プーチンの妻や娘たちは、この発言をどう思ったのでしょう。当時ロシア国内でかなり反響があった“事件”なので、耳に入っているはずです。

なぜ短期間でトップまで上りつめたのか?

プーチンの東ドイツでのKGBスパイ生活は、とても地味なものでした。スパイとしてのキャリアは、華やかさにまったく欠けていて、めぼしい諜報活動をした形跡がありません。ベルリンの壁崩壊にあたり、プーチン一家はあたふたと東ドイツを脱出し、やっとの思いでロシアのレニングラードに帰りつきます。その後、プーチンは、レニングラードで6年強、モスクワで4年弱、あわせてわずか10年の苦闘の末に、プーチンはロシア中央クレムリンのトップの座へと上りつめることになるのです。

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