高田馬場駅や町名としての読みは「たかだのばば」だが、濁らない「たかたのばば」のほうが歴史がある。
「あきはばら」と「あきばはら」の関係に似ているが、『忠臣蔵』の物語の中に重要なエピソードとして出てくる、1694(元禄7)年の「高田馬場の決闘」の読み方は「たかたのばば」だ。後に四十七士の一員となって褒め称えられた剣豪・堀部武庸(安兵衛)が加勢し、“十八人斬り”などと誇張されて(実際に斬ったのは3人らしい)市井に伝えられ、江戸で大評判になった有名な決闘である。
読み方は濁るのか濁らないのか
1885年に品川―赤羽間が開業した後の山手線が1909年に電化されると、電車の性能を生かした利便性向上策として駅の増設が行われた。その一環として1910年9月15日に開業したのが高田馬場だ。前後して代々木、五反田、鶯谷、新大久保と山手線が停車する駅が増えている。この時、読みが「たかだのばば」となり、そちらのほうが定着した。
当初、この新駅の駅名は、所在地名を取って「上戸塚」または「諏訪之森」とする希望が地元から上がった。だがすでに東海道本線に戸塚駅、南海鉄道に諏訪ノ森駅が存在していたため、類似駅名を避け、地元でもっとも有名な古跡である高田馬場が採用されたのであった。1975年には駅名に引っ張られて、駅周辺の町名も高田馬場に改められている。
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