「シン・仮面ライダー」情報過少でもヒットの理由 豪華俳優陣が出演するも「顔」に頼らない作り方
そもそも、主人公・本郷猛役の池松壮亮が仮面をかぶって演じているシーンが多い。仮面ライダーなんだから当たり前のようだが、たいていの変身ものは、変身したらスーツアクターが演じている。変身しなくても、アクションパートはアクションが得意な俳優が代わって演じる作品もある。なかには、例えば背中しか映らない場合、代役がやることだってある。映画とは極めて合理的な産業なのである。
ところが、『シン・仮面ライダー』はそうではない。とことん、当人がやっている。
筆者は同映画のパンフレットでキャストのインタビューをしたのだが、アクションは当初、スーツアクターに任せるはずが、いつの間にか俳優本人がやるようになっていた、と笑い話のような話を聞いた。
「顔ぶたないで、私女優なんだから」というセリフが昔の映画にあったが、“俳優は顔が命”という先入観を覆すのが『シン・仮面ライダー』である。それでいて、俳優にかなり重要な部分を委ねてもいるのである。
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本郷と並ぶ、もうひとりの仮面ライダー・一文字隼人役の柄本佑は、仮面ライダーのマスクをかぶって歩いていても、アクションをしていても、柄本佑の独特な浮遊感みたいなものがあって、それはスタントでは再現することは不可能だ。また、ダンスをやっている森山未來だからこその手足の動きも然り。
仮面ライダーに変身したあとも愚直なまでに俳優本人が演じているからこそ、別人のように強くなっても、その身体性、動きのクセは変わらない。役の熱量や本質が変わらないことは、見ていてとても心地よい。
たぶん、特撮ものを見慣れない、ストレートプレイ的なものに慣れている観客のほうが彼らの感情に入り込みやすいのではないだろうか。仮面をかぶったときのくぐもった声も再現されていてリアリティーがある。
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