「シン・仮面ライダー」情報過少でもヒットの理由 豪華俳優陣が出演するも「顔」に頼らない作り方
個人的には、本郷猛と一文字隼人が、ある場面で会話しているところに注目した。演じる池松と柄本がまるで戦争映画で戦場に赴く若い兵士のような、いやおうなく状況に巻き込まれてしまったような雰囲気で味わい深かったのである。まあそれはミニシアター系の映画や舞台的ともいえるのだが。
一方、仮面をかぶらない竹野内豊にも注目したい。彼は「シン」のつく実写作品に連続で出ている。
それだけなら、庵野組の常連俳優的なことかなと思うが、各作品でどことなく雰囲気の似た役柄であることが面白さである。でもそうだと明示されているわけではない。この、同じなの? 同じじゃないの? どっちなの? 感が逆にいい。漫画で、作品をまたいで同じキャラが出ているみたいな楽しさを、生身の俳優・竹野内豊が作り上げている。
役によって別人のように見せることも演技のひとつだが、「シン」がつく実写作品群で、竹野内は自意識をまるで見せず、どっちなの感を見事に醸している。その佇まいは実にすばらしい。仮面をかぶらずして、「シン」のつく実写作品に観客が期待するベールをまとっているようだ。
最も“顔”を効果的に使った浜辺美波
浜辺美波も仮面をかぶらない。ひたすらその美しい顔がアップになる。ほとんど笑わない、つまり愛想を振りまかずとも、自然と意識が彼女に吸い込まれてしまう、花のような美。多様性の時代、美醜の話もしづらくなった現代だが、昔の映画のヒロインのように、美に価値を置くことも大事だと思う。
浜辺美波が凛として美しいことは貴重で、かつ物語にとって重要であった。基本的にきちっとした出で立ちのなか、ある場面でTシャツに着替えたとき、ゆるっとした襟ぐりからのぞく首もとのほくろを映すセンスもこの映画の良さである(追告にも出てくる)。
『シン・仮面ライダー』は “その人である意味”を突き詰めた、切実で熱量の高い映画なのだ。
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