2024年に「アメリカで内戦」が発生しかねない理由 「格下げ」された人々の癒やしがたい怨嗟や憎悪
彼らは、分極の綻びを見つけ出し、そこに憎悪の固いバールをねじ込んで、SNS等をフル活用して巧みに怒りを拡散することで、政治権力を掌中に収める。要は「われわれ」と「あいつら」を仲違いさせる「心理的壁」を見つけ出し、対立を作り出すのです。
仕掛人は、政治家ばかりとは限りません。ビジネスパーソンであることもあるし、メディアのパーソナリティ、ネット上のオピニオン・リーダー、さらにはタレント、あるいはこれといった肩書を持たない人。要は、どんな人であっても仕掛人にはなりうるのです。
「捏造された」現実はもはやなじみの光景
ちなみに、分極の諸相は見かけほど単純なものではありません。イデオロギー、民族、宗教・宗派などは後付けの口実みたいなもので、それらはあくまでも人為的です。
一例として、おそらくYouTubeやTwitter、TikTokなどを日常的に見ている方は、選挙や国会論戦の時期に、実にきわどい切り取られ方や編集を施された動画・投稿を目にしたことがあるはずです。時には解説の形式をとった激烈なテロップの類も目にしたことがあるでしょう。それら「編集済み」、悪くすると「捏造された」現実はもはやなじみの光景になっている。
これは全世界的傾向ですから、誰もが内戦や暴動と無縁だなどとはゆめゆめ思わない方がいい根拠ともなっています。著者は、この状況を「パンドラの箱」と古典的に表現しています。
パンドラの白眉とも言えるのが、「第7章 内戦――真実の姿」です。この章は翻訳していて思わず戦慄が走りました。冒頭から速射砲のように、アメリカの近未来が「見てきたように」刺激的に描写されている。フィクションと気づくまでに少しページを繰らなければならない。このあたり、著者の筆力は怖いくらいに冴えわたっています。ちょっと予言的でさえある。
そこで語られる、死、憎悪、破壊の物語は、正確に言えば、単純なフィクションと割り切れないものがあります。ジョージ・オーウェルの小説が20世紀を経た今日、フィクションでなかったと判明したのと同じ意味合いにおいてです。
では、パンドラの箱が開け放たれたのはいつか。著者は2012~2014年あたりと考えています。すなわち誰もがスマホを手にし、常時SNSにアクセスするようになった頃です。以後の状況は、浄水場を経由していない細菌まみれの生水が、美しくパッケージされて世にあまねく流通する状態に似ています。偽ともプロパガンダともつかぬ情報が、ほぼそれと知られることなく、人々の行動を呪縛してしまう。それは見方によれば、政治的イノベーションとも言えるのかもしれません。
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