医学部9浪、母の殺害に至った壮絶な教育虐待 家出を試みるも、探偵を雇った母に連れ戻される
9年間に及ぶ浪人生活。同世代が進学や就職、結婚などを経験していく20代の大半を、母娘という牢獄に閉じ込められ受験勉強とアルバイトだけの生活を送っていたあかりは何を思っていたのだろうか。
「彼女は本当に途方に暮れていたのだと思います。9年の浪人生活の期間中、彼女は何回か家出を試みているんです。実家からお金を持って逃げようとしたこともあったのですが、お母さんが探偵を雇って居場所を調べ連れ戻されました。『そこまでするのか』と思いますよね。何度逃げようとしてもかなわなかったので、一体どんな打ち手があるのか八方塞がりだったのだと思います」
あかりは家を出るために住み込みの勤め先を探し、就職が決まりかけたこともあったがすべて母によって潰されてしまった。
「あかりさんは浪人中アルバイトをしていましたが、その収入はすべて自分の元に入ってくる訳ではなく家にもお金を入れなければなリませんでした。そのため20歳を超えてからも経済的な自立がなかなか難しかったのだと思います」
また、あかりは何度も自殺を考えたことがあった。18歳〜19歳の時、予備校の帰りに通る橋の上で「ココから飛び降りて死んで解放されたい」と思った。一方の母も浪人生活5年目に睡眠薬の多量服薬で自殺を図り、発見したあかりが救急車を呼んだことによって一命を取り留めている。後にあかりは控訴審で提出した陳述書で、「いずれ、私か母のどちらかが死ななければ終わらなかったと現在でも確信している」とつづった。殺人事件に至る前から、母娘の意識には命の断絶という選択肢が身近なものとしてあったのかもしれない。
(後編に続く)
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