医学部9浪、母の殺害に至った壮絶な教育虐待 家出を試みるも、探偵を雇った母に連れ戻される

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

こんな状況では誰もが勉強が苦痛になってしまうだろう。あかりは母に「バカ」とののしられ続けたが、齊藤さんはこう話す。

「彼女の場合は算数などの理系科目があまり得意ではなかったそうです。一方で文章を書くことはすごく上手で、国語などの文系科目は嫌いになってはいないと思います。私との往復書簡でも、彼女は難しい漢字をきれいな字ですべて手書きで正確に書いていました。パソコンの予測変換に慣れている私は『この漢字は何と読むんだろう』と調べなければ分からないこともあったくらいです」

齊藤彩 母という呪縛 娘という牢獄
齊藤彩(1995年東京生まれ。2018年3月北海道大学理学部地球惑星科学科卒業後、共同通信社入社。新潟支局を経て、大阪支社編集局社会部で司法担当記者。2021年末退職。本書がはじめての著作となる。撮影:ヒダキトモコ)

なぜ母は医学部に固執したのか

あかりの両親は医師ではない。父は大学卒業後ビルのメンテナンスを請け負う企業で勤務し、母は工業高校を卒業してあかりが保育園に入る前から工場で検品のパート勤務をしていた。しかし母はあかりを「生まれたときから医者にしようと思っていた」という。なぜ娘を医師にすることに固執したのだろうか。

齊藤さんはその理由について「最近新しくいくつかの考えが浮かんできた」という。

「1つは、『アメばあ』と呼ばれていた妙子さんの母・タカコ(仮名)さんの存在があると思います。アメばあの再婚相手、妙子さんの義理の父に当たる方が歯科医なのです。妙子さんは幼い頃から歯科医である義父のステータスの高さや豊かさを知っていました。妙子さんが思い描く憧れの象徴がお医者さんだったのではないでしょうか」

妙子は実母であるアメばあ(タカコ)の元を2歳の時に離され、アメばあの妹夫婦に預けられて育った。

タカコは妙子の父である日本人男性とは入籍せず、アメリカ人男性と結婚するが離婚し、岩国のアメリカ海兵隊基地で軍医を務めていた別のアメリカ人男性と再婚し一九七〇年ごろ夫婦で渡米した。

妙子は高校を卒業するまで、岩国の叔母夫婦のもとで育った。(中略)

妙子は、岩国工業高校を卒業したあと、母親と義父を頼ってアメリカへ渡っている。

アメリカでの生活ぶりははっきりしないが、結局妙子はアメリカに定着することなく、数年で帰国した。

その後は滋賀・大津に住んでいた伯母のもとで生活している。帰国後、伯母の勧めで見合い結婚した。二人の間に生まれたのがあかりである。

妙子が帰国したあとも、母・タカコとの濃密な関係は続いた。タカコの再婚相手の男性は海兵隊を除隊してアメリカで歯科医となり、その生活ぶりは豊かで、一軒家を買うときや、あかりの進学などに際し金銭的な援助をしてくれていた。妙子とあかりはタカコを「アメリカ在住のおばあちゃん」を略して「アメばあ」と呼び、頻繁に連絡をとっていた。

次ページ母も十分な愛情を受けてこなかった?
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事