「ワンピース」が何度も我々を魅了する本質的理由 「FILM RED」ルフィとウタが戦わせる"自由"とは何か
ゴードンの懇願は観客の心の叫びでもあっただろう。その渾身の叫びを聞いて、ルフィは戦うことを決意した。『ONE PIECE』ではこのように誰かの悲痛な気持ちをルフィが受け取ってくれる瞬間になんとも言えない喜びがある。
単に悪いやつをやっつけるとか、誰が海賊王になるかという話ではなく、皆の思いを背負って戦ってくれる主人公の姿に、私たちは感動する。これこそが『ONE PIECE』の真骨頂なのだ。
ルフィというキャラクターが抱える“矛盾”
もしかしたら、そんな仲間思いのルフィの姿に、ちょっとした矛盾を感じる人もいるかもしれない。普段のルフィは、あまり人の話も聞かず、自分勝手に邁進していくキャラクターだからだ。それを象徴するのが「海賊王に俺はなる!」というセリフである。
ルフィのように自分の目標に向かって突き進む主人公というのは最近のアニメや映画などでは少ない。先行き不透明な時代には「目的追求型」の主人公は減り、障害が降ってきてそれを乗り越える「障害乗り越え型」のストーリーや主人公が増えるからだ。
それは日本では、“出る杭は打たれる”文化とも関係があるかもしれない。頑張ってもうまくいかない時代には、目的追求型のキャラクターには冷めた目線が送られることも多い。けれど、ルフィはそんなことお構いなしに我が道を行く。
私たちは、心の底ではやりたいことをやり、自分らしく生きたいと思っている。しかし様々な理由でそれができない。時には自分に原因があると分かっていても思うようにいかない。だからこそ、迷いなく進んでいくルフィに惹かれるのだ。
その一方で、ルフィは「仲間を信じる心」が誰よりも大きい。「自分中心」と「仲間思い」という、一見矛盾しているようなこの2つを見事に両立しているのが、ルフィの真髄だ。
なぜそれが両立するかといえば、ルフィにとって仲間とは馴れ合い的なつながりではなく、お互い自分の道を突っ走ってこそ成立する関係だからだ。ゾロが仲間になる時の、ルフィの「いいねえ世界一の剣豪。海賊王の仲間なら、それくらいなってもらわないとおれが困る」という言葉がそれを象徴している。
『ONE PIECE』という作品は「真の仲間とは何か?」というテーマを常に考えさせてくれる。これは、きっと原作者・尾田栄一郎の生き様と美学から生み出されているものだろう。
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