「ワンピース」が何度も我々を魅了する本質的理由 「FILM RED」ルフィとウタが戦わせる"自由"とは何か
ウタの言う「自由」や「新時代」は昨今のネットやSNSで分断された社会を暗喩していると考えられる(Adoという存在がさらにその説得力を増した)。
「お前は間違っている」と諭すルフィに対して、ウタは「この世に平和や平等はない」と言い放った。そしてウタはとある少女の声を思い出すのだ。
「ねえ、ウタちゃん、ここから逃げたいよ。ウタちゃんの歌だけ、ずっと聴いてられる世界はないのかなぁ?」
その瞬間「私を見つけてくれたみんなのためにも……もう引き返せない」と言ってウタはラスボス化するのである。
『ONE PIECE』の最大テーマ「自由とは何か?」
ではそれを打ち砕くルフィの考える「自由」「新時代」とは何か?
ウタの提示する未来は、実際にはすぐ近くに訪れている未来とも言える。メタバースと呼ばれる世界はその象徴だ。肉体的、現実的な苦悩はAIやロボットなどに任せ、好きなことだけやっていればよい社会というのは、私たちが現実的に目指しているものである。
しかし、ルフィはそれに抗う。ルフィの考える自由は、ウタの考えるものとも連続しているが、ウタが仮想世界に逃げちゃえばいいんだよというのに対し、あくまで物理的に現実的に獲得しようとしているものである気がする。
私は『ONE PIECE』を読んでいて、あの骨つきの肉、特にビヨーンと伸びるあの肉がいつも美味しそうに見えてならない。楽しそうに食べ、騒いでいる「宴」にいつも憧れを感じるのだ。
ルフィにとっての自由とは、仮想世界で永遠に手に入れるものではなく、限りある人生で、限りある肉体を使って「どう謳歌するか」といった具合で捉えられているのではないか。
私の好きなセリフにも、そんなルフィの思いが感じられる。
「支配なんかしねぇよ。この海で一番自由な奴が海賊王だ」
連載のラスト、ずっと追い続けてきた「ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)」が見つかる時、尾田栄一郎やルフィが追い求めた「自由」が明らかになるのだろう。
「ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)」というのは「自由とは何か?」という問いに対する答えを与えてくれる宝ではないかと私は願う。
それはウタが求めた「自由」や「新時代」をも含むものであるかもしれない。
私たちはそんな期待を胸に、『ONE PIECE』という旅を見守るのだ。
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