初代「エスティマ」不遇でも一時代を築いた功績 今も感じる「天才タマゴ」フォルムの可能性

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しかし、開発がうまくいかなかったようで、結果的には4ストロークの2.4リッター直列4気筒エンジンを75度も倒して、前席下に積んで発売された。

ボディサイズは全長4750mm×全幅1800mm×全高1780mmと当時としては大きく、北米向けであることがうかがえた。見るからに長いホイールベースは2860mmもあり、全長4690〜4860mmだった当時のクラウンのホイールベースを130mmも上回っていた。

エスティマは、インテリアも前衛的だった。とりわけインパネは、前にエンジンがないことを生かし、中央部を操作性のために手前に張り出し、左右を奥に追いやることで開放感をもたらしており、卵のカラザを思わせた。

機能性と視認性が考慮された曲線的なインストルメントパネル(写真:トヨタ自動車)

縦置きエンジン後輪駆動が基本なので、床は高めであり、キャビンの天地はさほどではなかったものの、2800mmを誇る室内長は圧倒的だった。

しかも、ミッドシップで低重心、前後の重量配分に優れ、タイヤが車体の4隅にあるパッケージングは、背の高さを除けばレーシングカーに近いものであり、ハンドリングは既存のワンボックスとは別次元だった。

フロアとシートの高さからも乗用車ライクなクルマであることがわかる(写真:トヨタ自動車)

ただし、北米では当初からアンダーパワー(パワー不足)という声が多く、途中でスーパーチャージャー付きエンジンを追加したものの、ネガティブなイメージを払拭することができなかった。

一方国内では、当時はまだ税制面から3ナンバーボディを控えるユーザーが多かったこともあり、1992年にボディを5ナンバー枠に収めて、ディーゼルターボエンジンを用意したエスティマ「エミーナ/ルシーダ」を出した。

セレナやスペースギアが追随

エスティマが先鞭をつけたこの脱ワンボックスの流れは、他のメーカーも追随するようになる。

1982年に国産ミニバンのパイオニアである前輪駆動の「プレーリー」を送り出していた日産自動車は、1991年に「バネット」の後継車として、エンジンを前席間に置いたまま前輪を前に出した「バネットセレナ」をリリースした。

1983年にミニバンの「シャリオ」を送り出していた三菱自動車工業は、1994年にオフロードも走れるワンボックスとして評価されていた「デリカスターワゴン」を、前輪とエンジンを前席前に移動させた「デリカスペースギア」にスイッチした。

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