最北の廃線「天北線」、代替バスすら消える現実 かつて長大路線、音威子府―浜頓別間をたどる

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音威子府駅前で発車を待つ稚内駅前ターミナル行き(筆者撮影)
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ローカル鉄道の廃止反対理由として、「鉄道がなくなると町がさびれてしまう」としばしば述べられる。遠隔地との交流が途絶え、経済的なダメージを受けてしまうとの考えからだ。しかし現実には、地域が衰退し鉄道の利用客が極端に減少してしまったからこそ廃止論議が起こる順番であり、今や公共交通機関を利用するのは高齢者と高校生だけとなっているのが実情と、各地で痛感させられる。

日本国有鉄道は、1980年から国鉄再建法を背景に、バスへの転換が適当とされる「特定地方交通線」を選定。多くのローカル線が消えた。私鉄も経営難は同様で1960年代以降、廃止が相次いだ。それからも長い時間が経過した2020年代の今では、地域経済の衰退はよりいっそう深刻になり、今度は鉄道を代替したバスですら、各地で廃止の危機を迎えている。

路線バスも廃止の方向

特定地方交通線のうち最北の鉄道で、1989年5月1日に廃止された天北線の沿線も、音威子府―浜頓別間の路線バスを廃止する方向で協議がまとまり、2023年10月に実施される予定だ。鉄道が消えた地域の実情はいかなるものか。残る命脈もあと1年を切った2022年11月末、急ぎ現地を訪れた。

天北線は稚内まで到達した初めての鉄道であり、1922年に全通した。1926年には現在の宗谷本線が開通したためサブルートになったが、浜頓別などオホーツク海沿いの有力な町を経由していたため、急行列車も引き続き設定された。

だが国鉄再建法が定める旅客輸送密度4000人/日未満の基準に該当し、第二次特定地方交通線に指定。音威子府―南稚内間148.9kmもある特定地方交通線では最長の路線であったため、代替輸送に問題があると名寄本線、池北線などとともにいったん廃止承認が保留となったが、最終的には問題なしとされている。廃止後は宗谷バスの路線バスが旅客輸送を代替した。

次ページ鉄道を代替した「天北宗谷岬線」のバス
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