ーー宗教組織から排除されたとしても、職場や学校など別の社会があると思いますが。
エホバの2世は、進学や就労を制限された結果、経済的に自立できず、信者以外の人間関係を築くこともできない人が多い。信者しかいない世界の中で生きてきた人が排斥されると、あっという間に居場所を失うわけです。他のさまざまな禁止事項には耐えられても、友達や家族から排除されたら精神的に追い込まれるでしょう。
ーーどのような理由で排斥されるのでしょうか。
排斥の理由としては、教義に反する異性との婚前交渉が多い。違反したことがわかると、その信者への査問委員会のようなものを開き、具体的な内容を聞き出します。その内容によって、どれくらい悪質か、どれくらい反省させるべきかを判定します。
高校生の時、私と同じ年齢の信者が性関係を理由に排斥されました。私自身も数日に1回は机の中を母親にあさられて、エロティックなポスターや本を持っていないか確認されました。見つかると尋問が始まり、自己批判を迫られます。とても苦しく、親を殺したいとすら思いました。当時の生々しい気持ちは今でも忘れません。
虐待は過去ではなく現在の問題
ーー現在、お母さんとの関係は?
母は「昔のことだから忘れてほしい」と思っているようですが、私は忘れることができません。なぜなら幼少時の虐待が、現在でも毎日のようにフラッシュバックするからです。虐待は過去のことではなく、現在の問題なんです。
私は19歳のときにアルバイトで自活し始め、実家を出ました。そのきっかけとなった忘れられない出来事があります。京都の祇園祭で売っていたちまきを家族のお土産に買って帰った時のことです。関西のちまきは笹に入った餅状の甘い和菓子で、子どもの日の前後にだけ売られています。
私は大好物だったので、京都では真夏に食べるものだと誤解して、家族を喜ばせようとどっさり買って帰りました。ところが、それを見た母親は悲鳴を上げて逃げ出しました。それは和菓子ではなくて、神事に使う魔除けの道具だったんですね。
小学生の頃母の日にカーネーションを贈った時も、母親は激怒しました。エホバの証人ではクリスマスや誕生日会などのお祝いが禁止されているからです。家族のため、母のためと思っての贈り物だったので、とても傷つきました。ちまきのことでその記憶が甦り、もうこれ以上は一緒に暮らしたくないと強く思いました。10年の時間を経ても変わらない母の狂信に絶望したのです。
私の場合はバプテスマを受ける前に宗教から離れたので排斥はされていませんが、今は親と絶縁状態にあります。ただ、親に対する愛情や良い思い出がないわけではない。だから、なおさら苦しいのです。
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